ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4798,年金破綻報道の罠 ー①
軽やかにのびのび生きていこう、とう希望に向かう生き方。 (1)と捉えるか、(2)と捉えるか・・
あなたはもともとお金を持っていなかったとしよう。ところが何らかの理由で今は一万円をもっている。しかし何らかの理由で、
そのお金はなくなる。これをどう捉えるか。どうせお金はなくなるんだから、はかなく悲しい、と絶望するか、たまたま一万円
持っていると希望を持つか。これと同じだ。あなたはもともと生きてなどいなかった。ところが、何らかの理由で今は生きている。
しかし、いずれまた無に戻る。中島義道だったら「この世に自分の意志ではなく生まれさせられ、苦しみあえいで生きねば
ならないから、はかなく悲しい」と絶望するかもしれない。 (1)型の捉え方だ。
しかし、見方を変えれば「なんと幸運なことに、何の因果か、たまたま、生きているかのような幻想を一的に手に入れた。
なんてラッキーなことか」 これが(2)だ。 つまり、人生とはあぶく銭。生まれる前には何もなかった。
ところが、何の因果か、宇宙ができ、有機物の塊が生物になり、それが進化して、人間になった。その中の一人として、
何の偶然か、あなたが生まれた。生まれたての時は、何も考えなかったが、脳が成長・学習して今に至った。
これがラッキーでなくてなんだろう。あなたにとって、宇宙史上最大のラッキーの一つだ。死刑というより、恵みだ。
信じられない、鮮烈な奇跡である。そんな奇跡を楽しまずして、この奇跡が再び失われてしまうことにフォーカスを
当て続けるなんて、もったいない。それよりも、この刹那の偶然を、大いに楽しもうではないかが、それが、(2)だ。
一万円を得たこの奇跡的な現在を喜ぶか、その一万円を失う未来を憂うか。その違いが(1)と(2)の違いだ。
(1)は、いま一万円を持っていることから出発しようとするから、失うことの絶望に向かう。それって近視眼的ではないか。
一万円を得たという既得権は、既得権。それは当然としておいておき、一万円の維持にフォーカスしている。
それよりも、人生をその始まりから俯瞰する視点に立ち、もともとゼロだったものが一万円になったこの人生のあぶく銭を
楽しもうではないか、というのが(2)だ。 視野が広い。 ルートと関連付けるなら、今一万円を持っていると思っているのは、
幻想だ。本当は持っていないのだ。誰かが「自由に使っていいよ」と言い、そっと貸してくれたのだ。このラッキーな一万円を、
幻想だと知りながら、ぱーっと使おうではないか。 そして、なくなったら、なくなったとき。くよくよしたって仕方がない。
もともと持っていなかったのだ。・・・ ≫
▼「要は生のラッキーを楽しみ、死の恐怖を超越すべし」からすると、この辺りを理解してないと人生を誤る。
それを教えるのが親の務めである。必要なのが教養。 生まれたときからの環境などが備わっているかどうかもある。
幸せな家系は幸せに、不幸な家系は幸せになる傾向が強い。26歳で千葉で、34歳で新潟駅前で創業を決意をした時、
特に新潟駅前の時は、500%の成功するだろうという確信があったが、兎にも角にも、何にも知らない業種。土地の時価を
含めて当時の私の能力からして、やはり博打。魂が震える思いである。で、自然考えたのが、上記のこと。
「せっかく与えられたチャンス。もし失敗しても、全てを失っても後悔はしない」と! だから現在、さばさばしている。
万一の備えはしていたこともあるが・・ 人生も、「ご覧のとおり、そのまま結構!」と、開き直りか。 日々是口実!
・・・・・・
4057, 随想日記も12周年
2012年05月04日(金)
11年前の5月4日にHPを開設してから連日、ほぼ休まずに掲載してきた。旅行時は知人に頼んで書きだめしたのを当日ごとに
アップしていた。12周年を期に気楽に休むつもりである。休み癖をつけると続かなくなる心配が逆に、ここまで続けることが出来た。
内容はともかく、「自分に納得できる文章にすること」を心掛けてきた。毎日、同月同日分の10年分を読み返しているが、手を抜いた
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05月04日(日)
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