ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4619, 君は1万円札を破れるか? ー6
振り返れば「しまった!」の連続。「見ていても見えなかった」のである。結局、地頭の限界が、その人の程度。
「知ったかぶりするな!」が、何事についての基本。知りもしないのに、知っているつもりだったのである。
そう、実験に昨夜、ビデオに録った「居酒屋放浪記」を、見たが、二度目に見たとき、一度目は、殆ど何も見えてなかった
ことに思い知らされた。大部分の人が、そうだとしても、こと重要案件に対しては、それは許されるものでない。
ーまずは、その辺り部分を抜粋してみるー
≪ 私たちは何かを、または誰かを見るとき、そこにあるすべてが見えていると思う。しかし、実際はそうでない。小さなもの、
背景などが目に入らないことが多い。目はカメラではない。出来事の「画」を撮りはしないし、一度にすべては見えてない。
視野の中で常に見えるのは、全体の数分の一に過ぎない。たとえば通常の視距離でハッキリ見えるのは、視野の四分の一に過ぎない。
目はこの制約に対処するため、絶えず視野を動かし、一秒におよそ三回の割合で動いて止まってを繰り返す。さらに動いている目に
何が見えるかは、見る人によっても変ってくる。たとえば、男と女では、気づくものが違う。男が女の財布をひったくられたのを
目撃したとき、女性はひったくられた被害者の容姿や行動に目が行きがちだが、逆に男性は、ひったくられた犯人の風体を覚えている。
・・・交差点では、右折か左折かをするとき、右利きの人は右折を、左利きの人は左折を選びがちである。結果として、ある研究の
報告者は、こう助言した。「店や銀行で、なるべく短い列を探すとき、まず左側を見るべきだ」と。・・・
「人は探しだすのが難しそうだと、早めに「あきらめる』ようにプログラムされている」また、レントゲン技術者は画像に写った
悪性腫瘍の9割を見落としている」というし、アメリカ国内で10年前に調査された結果だが、四丁に一丁の割合で見逃されていた。≫
▼ 「自分は、見れど見えず、知っても理解できず」と、突き放すべき。 昔読んだ本を再読して、果たして、この本の主旨を理解して
いたのだろうかと疑問を持つことが多い。その時の自分の知識レベルで中途半端に理解していたに過ぎない。 リタイアをし、
過去を振り返ると「しまった!、あの時の、あれは」と、日々、独り言を呟くことになる。その上に「手ごわい後バイアス」の
フィルターがかかっていれば、独り思い込みの世界に、それぞれが居るようなもの。 しかし、人は、失敗を恐れ、
「何もしないという、より大きな失敗」を選択してしまう。そして、これが限界と、自嘲するしかない。そして、誰かに向かい、
「自分の人生を返してくれ!」と、嘯くしかない。それが両親に向かったとき、自爆、無知の極みの悲劇になる。
・・・・・・
3879, 閑話小題
2011年11月08日(火)
* 焼鳥屋、鳥梅
私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。
ある日の午後、そこに遊びに行くと、今から思うと焼き鳥の串さしの仕込みを、御父さんがしていた。子供なりに、仕事の場には
近づいてはならないことは知っていた。ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を差し出してくれた。 そして、食べて驚いた。
その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、噛み切れないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。
その後、成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。 私の幼馴染は何があったか分からないが、
店から引退し、姉さんと、奥さんが店に出ていた。 その店の前を二月ほど前に早朝のポタリングの帰りに通ったら、店の看板が
無くなっていた。そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除をしていた。 そこで、長岡の夜の博士と自認している?人に、
聞いてみたところ、「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。姉さんも高齢と不景気で止め時と言っていた」という。
それにしても、幼稚園時代の記憶の原点の一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
* 11月7日になると
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11月08日(金)
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