ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4618, 君は1万円札を破れるか? ー5
周囲の世界を見たり、記憶したり、感知したりするのは、総じて‘体系的偏り’(バイアス)を通して行われ、間違いの起因になる。
要するに、人は、それぞれの偏見に焼きなおして記憶するのである。それは、その人の期待でもある。 小さな地域社会では、
それが一人歩きを始める。それが老人の多い町ほど、内容は、地域の偏りの魔女狩りの様相になる。酷い噂は、流れのない、
淀みに住んでいれば、誰もが何度も経験する。インサイダーになるか、徹底してアウトサイダーになるかの選択をするしかない。
それが、「あとバイアス(歪んだ後講釈)」として、更なる歪むため、ことは厄介になる。 ーその辺りを抜粋してみるー
≪ 簡単にいうと人間、自分が思うほど完全な存在ではない。だが周囲の世界は人間が完全であるかのような前提で動いている。
たとえば、社会は数え切れないほどのパスワードを、暗証番号を覚えるよう要求する。ところが、この種の情報の記憶を
人間は苦手とする、あるテストでは、たった一週間で三〇%の人がパスワードを忘れてしまったし、別のテストでは、三ヵ月後に
六五%以上の人がパスワードを忘れていた。人間が一度にできることの数はごく限られているのに、ふだんの生活でマルチタスク
(複数の作業を同時にこなすこと)が求められ、その限界が試される。そのうえ同時におこなうよう求められることは、たいがい
実行中のことと無関係だ。しかし一般に人間の短期記憶は、五つ以上の無関係なことを一度には覚えられない。
たとえば愛車はあなたに、いくつのことを記憶するよう求めているだろう? 車内にナビは搭載? 自動速度制御装置は?
衝突防止装置はある? 死角警報システムやリアビューカメラ、子ども用の娯楽システムは? MP3プレーヤーや携帯電話は?
いまや車内には運転者の気を散らし、それ自体が事故の原因になりうる装置があふれている。だが事故が起きれば、責めを負うのは
車ではなく、あなたなのだ。自分が間違えるのを「間違った」もののせいにしていたら、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。
原因をまちがえていては、経験から学べることは少ない。とりわけ大きな不具合が生じた場合に、責任の所在を追及するのは
当然のことである。だがどこに誤りがあったか、それをつきとめるのは容易なことではない。だから「あとバイアス」をする。 ≫
▼ 「あと講釈」の一つに、スポーツ解説がある。勝手に、選手の失敗に対して、あたかも本当のようなウソをいう。
聞いている方は素人を承知で、「あとバイアス」の言いたい放題。 気の毒なのは、選手で、それが恰も真実として罷りとおる。
批判される選手と監督は、結果責任を問われているから何も反論できないことを充分に承知の上のため、言いたい放題。
しかし、「あとバイアス」を自分の思考や判断を狂わせてしまう。現在の日本の政治の混迷も、これが大きな起因になっている。
・・・・・・
3878, 閑話小題
2011年11月07日(月)
* 再び、ギリシャ
ギリシャの首相には驚き、呆れてしまった。例え話でいえば、《暴走しているバスの運転手、助けにきた他の車が暴走車に鎖をつけて、
何とか大事故を抑えようとしたところ、「鎖をつけるかどうか、乗客に聞いてみてから」と、言い出した。乗客は暴走をしているのを
知ってか知らずか? バス内の自分たちの不満で頭が一杯。瀬戸際で運転手が、どの道を選ぶか乗客に聞いている場合でない。
一つ間違えると、助けにきた仲間も道連れになることを運転手と乗客も知っているので、タカをくくっている。 そこで、
「それなら助けるのを中止する。その上に、共同体から排除をする」というと、急に運転手も乗客も慌てだし、従うと言い出した。》
これは世界中が唖然とした寸劇。しかし国民の反対デモや議会の混乱を抑えるため「国民投票」といえば、世界の袋叩になるのを覚悟の上、
あえて言った政治的駆け引きとすれば、これも納得。 国民投票やるべし!のデモが起きるかどうかだが、起ってこないのが漫画的。
この10年間、哲学書を読み続けているが、その始まりはギリシャ哲学。 その西欧文明の行き着いた終着駅が現時点とすると、
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11月07日(木)
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