ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[393673hit]
■4558, 東京が、2020年の開催地に決定!
「なまもの」に触る機会が失われた社会のことです。生きた動物が殺され、皮を剥がれ、血を抜かれれ、骨が切り離されて、
細切れになってパッケージされるという工程については誰も考えず、清潔な商品だけが売り買いされている。
医療でも過情報化の問題は深刻なものです。当今の医師たちは、なまものとしての身体ではなく、「記号としての身体」
を診療している。『医療崩壊』の著者である小松秀樹さんが指摘されていましたが、今の診療室では、机上のパソコンの
ディスプレィに患者のカルテや検査数値が表示されます。患者が診察室に入ってくると、医師は患者を診るより先に、
まずディスプレイに表示されたさまざまの数値を見る。うっかりすると診療時間のうち、患者の顔を見ている時間よりも
ディスプレイを見ている時間の方が長いのです。 ≫
▼ TVのワイドショーは情報を提供するところ、情報化は「なまもの」とは違うため、それを扱う解説者は、
記号としての言葉にして発信するするため、呪詛的な言葉になっていく。それを受け止める視聴者は、いつの間に、
呪いとして、なまものを呪ってしまう。これが端的に出のが政治であり、政治家は手軽な呪いの対象になる。
だから、島国日本の首相は、一年しかもたないのは、何ら不思議ではない。そして、その行き先は?
・・・・・・
3818, 哲学人 ー�
2011年09月08日(木)
* 精神と肉体ー 二元論 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
ー まずは二元論についてのデカルトの誤りを、ライルが指摘している部分からー
【 ライルは二元論について『心の概念』で、私たちの誤用に的を絞って書いている。ライルの攻撃対象はデカルトである。・・・
二元論の生みの親をデカルトと特定したが、実際には二元論、もしくはそれに似たものは、原始時代から人間についての通説となっていた。
常にと言っていいほど、人は自分を、肉体と、肉体に宿る非肉体的な要素から出来ているとみなしてきた。そして常に時代によって霊、魂、
心と様々な呼ばれ方をしてきた、この非肉体的要素を、ある程度独立した存在として、また、そうなる可能性があると見てきたと言っていい。
私がかつて、この事実を挙げて異議を申し立てると、ライルはこう答えた。
「この間違いを最初に犯したのがデカルトだと思っている人はいないでしょう。要はデカルトがこの考え方をとても明確に打ち出したので、
デカルトの時代以降、これが教義もしくは定説なったということです。シェイクスピアも聖書も言っていませんが、デカルトは実際に
こう言いました。『私の心はひとつの実体であり、私の身体はそれとは別の実体である』と、それが事実であるかのような言い方なら、
それまでもされたことはありました。が、デカルトは確かに事実であると言ったのです」
実を言うと私はそうは思わないのだが、それはさておき、精神という実体などないのだから二元論は誤りというのがライルの主旨。
その著書で述べられている詳細な分析をもとに、ライルはこう書ている。
≪ われわれ人間が行なっているのは、自分の行動と経験のある部分を精神的なものとして分類し、その他の部分とは異なる、
主体に帰属させること、そしてその主体を精神として物象化することである。 精神に関連する概念の使用法を入念に調査すれば、
そのようなことをする正当な理由はないということがわかり、さらには人間は単一の存在であり、行動と経験のただひとつの主体で、
アイデンティティも歴史もひとつしかないことが明かになる。 われわれはふたつの実体が神秘的に結びついたものではない。
これまでわれわれは、「カテゴリー錯誤」(ライルが哲学の世界に広く普及させた用語)を犯してきた。われわれは精神という概念を
一種類のものを意味するとみなしているが、実際は多種多様なものを意味している。 精神とは、独立して存在する実体であって、
なんらかのことをして経験をもつものと考えているが、通常はさまざまな行動形式のうちのいくつか(行為、気分、経験など)を総括する
[5]続きを読む
09月08日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る