ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4548, 2050年の世界 ー1
4173, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 ー2
2012年08月29日(水)
* 二つの違った未来観 ! 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著
ー 西洋と東洋の認知の違いはなくなるか ー
フクヤマとハンチントンの二人の政治学者の未来観こそ、西洋と東洋の違いである。20世紀に入ってから、哲学が、
決して西洋が文明的に優れているのではないという構造主義の考え方が主流になってきている。しかし時代は木も森も、
そして、地球環境も同時に見ていかなければならない時代になってきている。3・11震災がもたらした原発事故が、
それを我々に突きつけた。この対立は、避けることは出来ないが、何とか、それを抱えて未来に向うしかない。
ー まずは、その部分から
≪ 今、二つの非常に異なった未来観が、多くの領域の社会科学者たちの間で戦わされている。
ひとつは政治学者のフランシス・フクヤマが唱えた未来観で、世界の政治経済システムが一極に収束し、それに伴って
価値も一極化していくことを予測するもの。もうひとつは今後とも多極化が続くことを予測するものである。
フクヤマは著書『歴史の終わり』のなかで、資本主義と民主主義が勝利をおさめた今、面白い出来事を生み出すような
切迫した力はもはや存在しないと述べている。片や政治学者のサミュエル・ハンチントンは、世の中が今度とも多極化を
続けると予測している。社会が収束に向かうというフクヤマの視点とは大きく異なり、ハンチントンは世界がまさに『文明の衝突』を
迎えようとしていると断言する。東アジア、イスラム、西洋といった主要な文化集団における価値観や世界観の違いは調整不可能であり、
したがって対立は避けられない。「民族の対立と文明の衝突が生じつつある中にあって、西洋文化の普遍性を信じる西洋人たちの
信念には、3つの問題点がある。その信念が誤りだということ、道徳に反するということ、そして危険だということである」
言うまでもなく、経済や政府のかたちがどこでもみな同じならば、人の心の中はどこへ行っても同じだろう。
逆に、文明の衝突が避けられないならば、思考の習慣は多極化を続けるだろう。 ・・・・
フクヤマの未来観は、多くの西洋人、特にアメリカ人の視点を代弁している。アメリカ人は、誰もが根はアメリカ人か、
そうでなければ、これからアメリカ人になると思っている。・・・今やどの国の人たちも、ジーンズとTシャツを着て、
ナイキの靴を履き、コーラを飲み、アメリカ音楽を聴いて、アメリカ映画とTVを見ている。
逆にハンチントンによれば、世界の文化が西洋の文化に同化しつつあるという考えは、近視眼的かつ自民族中心主義な発想に
もとずく幻想である。社会は互いに違っており、今後の国際紛争は、過去に見られた経済的あるいは政治的な対立よりむしろ、
文化的対立を発端にしていると考えられる。・・・≫
▼ 「東洋と西洋の混血が現時点の日本」と仮説を立てると、日本の混乱が見えてくる。和魂洋才という言葉が、それを
あらわしている。情報化の進展で世界がグローバル化された現在、決して否定出来ないこと。要は和魂を常に意識すべきである。
これは日本だけでない。トルコがイスラム教国に関わらず欧州よりの国家体制を作っている。矛盾があっても乗り越えてである。
いずれにしても、あらゆる人種をかかた世界がネットで情報が共有された現実がある。それゆえの混乱は激しくなるのは当然。
・・・・・・
3808, 哲学人 ー⑧
2011年08月29日(月)
● 社会主義〜 妄想的理想社会への逃避 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
残念ながら、学生時代から社会主義・共産主義に対して本能的に、その虚偽を見抜いていたつもりだった。
経済も社会も、国家単位の計画で成立するはずがない。「経済は個々の競争原理の弱肉強食の戦いの中から優勝劣敗で進化する。
その歪を国家がコントロールすべきで、役人がたてた計画経済で、ことが上手く進むなどありえない」という単純な考えから
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08月29日(木)
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