ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4454,一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー2
今回の倒産劇の中でも、そのことだけは注意をしたが、それでも幾つか悔いの残る部分はあったが、可能な限り自分の良心に従った。
もちろん、落城に付きものの手の裏を返した身内や友人が数名いた。 後味が悪い切断は、一生ついてまわる経験則が無いのだろう?
品性もあるが。最後に残るのは自分の良心との自問自答だけ。 後足で砂を蹴った思いほど嫌なものはない。しかし実は返り矢で、
自分で気づいてないのが本当のところだろう。立場変われば、薮の中で、自分の勝手の解釈を、それぞれがしているにすぎない。
老化からくる偏執は、自分の価値観の歪曲からくる決めつけの起因が多い。老化による精神の弱体の顕在化は、そのへんから見えてくる。
著者は、「老いは、それだけで、その人の在りようを、偏屈で意地悪で寂しい老人と決めつけられ、それも安っぽい、
底が浅い不良少年にまつわる物語にされてしまう」と述べている。 社会的弱者になる、ということである。
だから、早く自覚をすべきということか。静かに、温かみを持って笑い、独り読書か、音楽を聴いて、目立たない老人も悪くないが、
意地悪ばあさん、じいさんも割り切ってしまえば楽である。 最後は、やはり宗教頼み、こんな私を神様、お助けください!か。
・・・・・・
3714, ジャズについて −9
2011年05月27日(金)
モダン・ジャズの誕生 ーB ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
* マイルス・デイヴィスが生んだ 「クール・ジャズ」とは ?
【 そのチャーリー.パーカーのクインテット(五重奏団)でトランペットを吹いていたマイルス・デイヴィス(一九二六〜一九九一)は、
四九年から五〇年にかけて伝説的なレコーディングをする。このレコードの発明(四八)からほどなくして録音されたこれらの曲を、
レコード会社は『クールの誕生』というタイトルでまとめた。これは、その名の通り「クール・ジャズ」の誕生を告げたアルバムである。
クラシックでは馴染みの楽器、チューバとフレンチホルンが加えられたこのレコード。 ここでのプレイでは、ビバップにはまだ
残されていたドライブ感のあるビートやホットな音色はきれいに消え去り、かわりにビブラートのない繊細な音色、明瞭で軽快な
スウィング調のビートが生かされた。黒人音楽の伝統であるブルース的な表現も極力抑えられており、その意味では、クール・ジャズは
ビバップから‘黒っぼさ’を抜いた音楽、ともいえる。 事実、その後のクール・ジャズは、白人中心の展開を見せる。
マイルス自身も白人のアレンジャーであるギル・エヴァンスや白人ピアニストのビル・エヴァンスなどとともに「マイルス・アヘッド」
「マイルストーン」「カインド・オブ・ブルー」など、歴史に残る名盤を発表している。
また、マイルスはそのキャリアを通じて、モダン・ジャズの歴史に大きな足跡を残すとともに、つねに新しいアイデアを提供し続けた
アーティストであった。 ヘロイン中毒から立ち直った一九五六年には、クインテットを結成してパートナーにジョン・コルトレーンを
迎えている。この頃のアルバムに「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」がある。
六〇年代後半には、テナーサックスのウェイン・ショーターやピアノのハービー・バンコックらの新進とジャズの枠を飛び出す新しい
方向を模索し、その成果は六九年の「ビッチェズ・ブリュー」で開花することになる。 エレクトリック・サウンドの導入による、
ロックとジャズの融合という果敢な試みを成功させたこのアルバムは、伝統的なジャズファンの間では賛否両論を巻き起こしたが、
マイルスの名声をさらに高めることになる。 七六年には一時引退し、再びドラッグに手を染めたが、八一年に復活。
彼の音楽はよりポピュラリティを増したものになり、ディスコでもかかるようになった。日本のCMにも登場するなど、
ジャズブァン以外にも広く名前を知られる栄光のうちに、九一年、六十五歳の生涯を閉じた。
なお、四〇年代後半にニューヨークにおいてマイルスによって起こったクール・ジャズは、朝鮮戦争で軍需景気に沸くロサンジェルス
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05月27日(月)
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