ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4386, 「うつ」かもしれない ー2
  * 20歳の頃ーある教授との出会い-1 2002/02/25
≪ この頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い
「自分に目覚め始めよう」としていた時期であった。キリスト教倫理の教授に「将来の自分の設計」のテーマを夏休みに与えられ、
「生まれて初めて」に真剣に将来を考たレポートを出した。その内容に対し心の入った文章の返事が返ってきた。200人の学生に対し、
これだけ長い心のこもった返事を書くもかと感激をした。それとも「自分の熱意を込めた内容に対する特別の返事」だったのか? 
鈴木教授という名前と、授業内容が心のこもった内容であった事を憶えている。私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容。
初めて第三者に自分の心情を書いた。いや書かされたのかも知れない。要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさ厳しさに
しり込みをした。そして安易な生き方を選んだが、自分は父の生き方を選ぶことにする。 今になって特に「父の生きかた」
に男として魅力を感じるようになった。もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎ不幸な死に方をした」ことも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは「その中で、よく父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方の決心が心から嬉しい。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したこと、そのことが素晴らしい!」というな内容。この時点で自分の生き方が変わった。
いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。 俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!≫
 ▼ それから45年後に倒産に至ったが、傷は、それほど深くない。ハッピーエンドとしても、大して変わりがないというと、
  虚勢になるが、しかし私の人生は肯定するしかない。しかし充実はしていた。これを書いた夏休み以降から俄然、日々が面白くなった。
  まずは、自分づくりが始まった。 志を立て、目標を持つと人生は変わる。そして授業の科目を見渡すと、全てが、そのための学問。
  そして、寮の先輩も同僚も、全てが個性的人間に見えてきた。 丁度、将来に目覚める時期だった。
・・・・・・
3646, これまでの人生は何だったの?
2011年03月20日(日)
  地震 ―つれづれに 二題 ー9
   * これまでの人生は何だったの?
 九死に一生を得て、避難所に来た人のインタビューが生々しい上に哲学的である。
ある中年女性が、「全ての生活を失ってみて、これまでの生活と人生は何だろうか考えてしまった」と呆然自失とした言葉が印象的。 
死など考えてもみなかった人が突然、「あと数ヶ月」と宣告されて、これまでの人生を振り返った時の言葉と同じである。
これまでの生活全て目前で喪失してしまった純朴な人が、走馬灯のように現象世界を呆然と振り返ったとき、
「人生50年夢幻」の実感がみてとれる。 これは、まる一週間前に起きてしまった日本という国にとっても同じこと。
この日を境に日本は、大きく変わってしまったのである。この事実を見極めないと、判断を間違ってしまう。
 また、「現在起こっていることが、いまだ現実として受け入れられない」という言葉も、悪夢としてしか受けとめられないのである。
空ろな顔をした少女が行方不明の母親を探しながら絶望的な声で「オカーさん」と叫んでいる姿は何をか言わんである。
一瞬で大津波が生活に襲ってきたとき、ただヒタスラ逃げるしかない。そこで助かった人は、身ひとつしか残ってない。
家族と家など全て失い、避難所で何もなすすべが無い人が多く見かけられる。 まさにホームレスの状態である。
「私一人が生き残ってしまったが、それが良かったのかどうか、今でも分からない」 は、厳しい!
   * TVを見るたびに、絶望的な事態になっていく!
 ホウレン草と牛乳に基準値を超える放射能量が検出されたのに続き、今度は水道から放射性ヨウ素が検出された。
福島の、この時期のホウレン草はビニールハウスでの栽培というし、牛乳の中にというと、タダゴトでない。

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03月20日(水)
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