ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4105, 予言の書「日本の自殺」 ー8
【 私たちは通り過ぎる人々の群れの中に自分の居場所を見ることはできません。その中の何者かと出会い、
互いに相手に飼いならされ、相手を飼いならし、それによっで、その関係の中に居場所を見つけるのです。
本来、知性というものは優しさを増す効用があるものだと思います。他の民族、年齢や性別の差など、自分と違う立場というものを
理解し行くのには知性が必要です。けれど、それは根っこにちゃんと優しさがあればこそです。その優しさが、その知性によって
増していくのであって、根っこが悪すぎると知性が悪用されてしまいます。
それでは、その根っこはどこから生えてくるのかとよく考えるのですが、やはり子ども時代にイヤというほど愛された人というのは、
どこか人間の善意というものを当たり前と思い、その存在を信じています。善意が当たり前だということは、感謝が足りないと
見えることもあるかもしれませんが、本人も他人に当たり前に善意を示して、感謝を求める気がないのです。
逆に他人からはっきりと悪意を示されると、びっくりします。けれども少々意地悪をされていても、そんなことがあるわけないと
思うから気がつかない。なんだかいじめられていても、ちっとも感じない。そのうちに、いくらいじめても面白くないから仲間に
入れてしまえ、ということになって、人間関係がうまくいきやすい。
これと正反対に、子どもの頃からいじめられるのが当たり前だった人は、世の中の人は当たり前に自分をいじめるものと信じています。
他人の物腰や表情の中に悪意を読み取ろう読み取ろうとしていますから、いくらでも読み収にてしまう。 時にはニュートラルなことや、
善意そのものさえ、「私を利用されている」「最初に喜ばせておいて、後でひっくり返そうとしている」と勘ぐったり、
誰かにほめられたら、「後でひっくり返そうとしているのでないか」など素直に喜べない。 】
▼ 子供の頃の経験は大きい。良いにつけ悪いつけ、自分の根底が、それに左右されるということを意識して修正するしかない。
それに役立つのが知性である。だから自分で知性を磨くしかない。そのために、他人の話を聞き、本を読み続けること。
その結果、教養が培われる。 私のように多くの姉や兄の末っ子で育った者は、善意も悪意も読み取る習性がある。
常に人の間で緊張しているのは、そのためである。ただ、何をしても最後は許されてきたため、何処か甘さが付きまとってきた。
私の場合、許される場が自分の居場所ということになる。だから、長女系の優しそうな人に惹かれる。スナックや、行きつけの
喫茶店に通うのは、母なる癒やしを心の奥に求めているケースが多い。
・・・・・・
3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
2010年06月21日(月)
ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編
「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。
ー以下は、同志社大の遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。なるほど、この通りであるー
≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、より実質に近づいていく。
ジグソーパズルのピースを多く集めれば集めるほど、全体像がクリアにいくのと同じである。しかし、時代は急速な変化を遂げ、
情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と自覚できない人々が徐々に増えていく傾向にある。・・・
戦後、TVや教育などを通じて、『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。あなたはひとりの人間である。
男も女も平等である。 個人はすべからず自己実現すべきだ、と。 イメージが、伝統的な日本の社会のあり方と矛盾を持ちはじめた。・・
輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとするその一方で、日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。
その狭間である仮想の世界、『バーチャル・リアリティ』のなかで、我われはもがき苦しむ。では、そこから脱する方法があるのだろうか。
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06月21日(木)
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