ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4049, 一時停止 ー7
 人間活動というものは、人間の生き方として、考えることができない。意味や有意義性は、ディルタイがすでに指摘したように、
 私たちの生を構成する最も基本的なカテゴリーなのである。 そうした生き甲斐とは、それを最も強い形で言い表せば、
 自分の死に場所を発見することと同じだと言えるであろう。 その道を突き進んで、その果てに自分はもう死んでもよいと
 言えるような生き方とその内実を発見したときに、その人は自分で自分の人生の充実を図って生きる、こういう構造を含まないような
 人生設計や的活動というものは、泰然自若、自己であることに安らうはずである。 たしかに、「人生、いたるところに青山あり」である。
 しかし、ほんとうに死んでもよいと思える場所と生き方を、最終的に見出すことは、けっして容易ではない。何人も迷いを免れがたいもの。
 けれども、人間は、最後には、自分を捨て、 そこに自分を埋めてもよいと覚悟できる人生の住処を求めている。】
 ▼ 「生き甲斐とは、自分の死に場所を発見することと同じ。その道を突き進んで、自分はもう死んでもよいといえる生き方と、
   その内実を発見したときに、泰然自若、自己であることに安らう」は、納得する。 本当に自分の好きなことを見つけ、
  全霊を傾けて自分のエネルギーを叩きつける時に、生甲斐が生じる。 それがない人生は、空虚な喪失感が付きまとう。
  しかし生甲斐は、そう簡単に得ることはできない。極限の中にこそ、生じてくる。生甲斐を感じているときが、自分の心の芯に
  いる時であり、自分である時である。家族の為に我を忘れて必死に働いている時、振り返ってみた時に、生き甲斐を見出すのである。
  そこには、意味も意義も充分にある。 全身全霊をかけて対象に取り組んでいる中に生き甲斐が生まれてくる。
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3318, 悲しみ、苦しみは人生の花
 2010年04月26日(月)
 「悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花咲かせ、楽しむことの発見、
  これはあるいは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ。」これ坂口安吾の言葉である。
 それなら喜び、楽しみは果実というところか? 60数年の人生を振り返り肯定的に眺めれば、そうかもしれない。 
 私の実感は、悲しみ、苦しみ人生のレッスン=学びである。 近代の発見とは、目標の発見と解釈できる。 
 また花咲かせるとは、目的、目標の達成である。 目的達成のプロセスこそ人生の花というのも肯ける。「花も嵐も踏み越えて」
 という歌の文句があるが、人生とは挫折を乗り越えてこそ、その先の喜びも大きくなるもの。「悲しみ、苦しみは人生の花!」は、
 なかなかいえない言葉だからこそ、心に響くのである。 自分の子供に先だたれた親に、この言葉が当てはまるのだろうか。
 それも運命と割り切って受けとめることも人生なのだろうか。 「災い転じて福と成す」これが人生の真髄というが。
  大きな時代のウネリの中でこそ、味わいたい言葉である。 過去を振り返ると、一番のどん底の時ほど、周囲の人の苦しみや
 悲しみに対して鋭敏になり、優しい言葉をかけていた。 その時ほど多くの人と心が通いあっていた。 言い換えると
「どん底の時期は人生の花の時期」。「一番苦しかったけれど、一番楽しい時だった」と、気づくかどうかである。 
 私の場合は「人生、面白かった〜!」が実感だが。「喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる」で、それなりに人生、色いろある。
 「人生、当たり!」と自己暗示するしかないか〜 
「悲しみ、苦しみは人生の花」と、心の底から思えたら、それは一種の悟りだろう。   あれが花?
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2943電動式ステッパー
2009年04月26日(日)
 スーパーやホームセンターで、「自力式のステッパー」を見ていたが、知人が毎日使っているが、非常に良いとは聞いていた。 
ところが電動式ステッパーを家電店でみつけたので売り場で使ってみたが、なかなか良い。 足の部分が勝手に動くものだが、
しかし13万円もする。数ヶ月前に電気ウエーブ・マッサージを見つけたが、12万円もする。そこでネットで廉く小さいのを探したら

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04月26日(木)
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