ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3729, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜⑥
財や名声を追い続けていると百年に満たない生涯はたちまち尽きてしまう。
 ・・・ 財産や地位の空しさを論証するのはたやすい。「あの世まで持っていけるものではない」からである。
一生かかっても使い切れない資産というのは食べきれない料理と同じである。歴史に残るほどの偉業をなしても
人類の歴史そのものが永遠ではない。世界一の金持ちもいずれ死んで財産はそのうち四散する。
世界の帝王になったとしても、跡目はだれかに譲るか簒奪される。≫
 ▼ 以上だが、分かっていても囚われるのが人間。「死んで三日もすれば三百年前に死んだと同じこと」と
ハッキリと自覚すれば、何も目先のことに気持ちが大きく揺れることもないだろうに。生きていること自体が最も大事なことに
気づく時は、死を自覚した時など切羽詰らないと、なかなか無い。ここで、著者が最後に指摘しているように、
「好きなことをして自然に転がり込んでくるような名利でないかぎり、我が身や時間を切り売りしてまで欲しがるべきではない。
百億の資産、大臣の椅子といったところで、所詮はサルが食べきれないほどのエサを掻き集め、あるいは、ひとつのサル山での
順位を目一杯あげただけだ」ということ。 われわれにはもっと他に大事なことがあるはずだが。
 無いよりも、有ったほうがと、言うのが本音になるが・・・
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2989,歩く木
2009年06月11日(木)
 歩く樹木があるという、その名は”ウォークパーム”。
アマゾンに生息しており、太陽の光を求めたり、成長するための空間を確保するために、根をタコ足のように伸ばして年に
10数センチも移動する。アマゾンの中でも樹木の争いがある。光の当たる方に根を伸ばし陰になったほうが腐ってくのだそうだ。
50年で5〜6メートルも移動するのだから大変なものだ。 (人間でも、それさえできないのがいる?)
そういえば、ネパールの森林深く入った処でみたのは、根を持たないで隣の木に抱きついて栄養を吸い上げ、
涸れると次の樹木に移動する木を見たことがある。 その時に何か女性を連想してしまった。まあ、いいか。
直径一メートルの樹木が巻きついている様相は何か不気味な感がしたが、移動する方も不気味である。 
木は根を持って、大地に張り付いているものと思い込んでしまっているから、その意外性に驚かされるが。 
 昆虫を食べる花とか、他の鳥の巣に卵を産みつけ育てさせるカッコウがいる。羽根の付いた飛び魚もいるし、
飛べない鳥もいるし、もっと凄いのは「考えることを放棄している人間もいる?」(あなたのことではありません) 
世界は、私たちの想像を絶する自然現象が多く存在をしている。 
知っていること以外は無知、いや未知ということ。その知っていること自体が怪しいから、どうもこうも。
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2008年06月11日(水)
『いのち楽しみ給え』吉川英明編  (講談社)
  ーまずは、 第二章 人間の本質 から抜粋してみる
 理想のない漂泊者、感謝のない孤独、それは乞食の生涯だ。
*西行法師と乞食とのちがいは、心にそれがあるかないかの違いでしかない。
   評)理想ある漂流者、感謝のある孤独か?詩は心だからである。 (『宮本武蔵』火の巻) 
*今の足の向き方ひとつで生涯大きな違いが生じるのだ。必然こうなるものだと決定された人生などが
 あろうとは考えられない。偶然にまかせて歩くよりほか仕方がない。
   評)必然と偶然、哲学の話になる。               (『宮本武蔵』火の蓋)
*一個の人生にしたところで、余り気まま暮しな人間や、物に困らないものが、却って、
 幸福でない例を見ても、総括した民心というものにも、艱難する時代と、共栄謳歌する時代と、
 こもごもの起伏があっていい。なければ却って、民心は倦む。   「新誉太閤記」
*生きようとすれば、あがきの爪が、何かをつかむ。         (『「本太平記」みなかみ帖)
   評)最近の若者の大多数?は、あがきもしない。
*どんな大難も、一過を待てば、おのずから雲間に晴天を見せてくれる。(『「本太平記」帝獄帖)

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06月11日(土)
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