ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3706, 自己を見つめる −23
「多くの角度から枚数を撮って、その中からベストのものを選択できる要因の差」という。
その繰り返しの中で「一枚だけでもベストの写真が写せる」能力がつくのだろう。
世界中の秘境で写真を撮るのは良し悪しがある。対象を、身体全体で感じ取るために現地に行くのに、
ファインダーを通した小さな視界の中でしか見えなくなるのである。写真は素晴らしいのが残ったが、
現地での体感が残らないのである。その辺の兼ね合いが意外と難しい。今回のテーマとそれたか。
この本、ブックオフで見つけ買って読んだが、幾つか教えられた箇所があった。
基本中の基本だが、といって、言われて成るほどと分かることもある。場数は多くつんできたが、スナップの基本を正式に
学んだことがなかった。場数や、アマチュアの人からの聞きかじりで、素人からアマチュアの入り口に入りつつあるのが
現段階と思っていたが、この本を読んで気づいたことは、まだまだ素人の段階ということ。この本は、ズブの素人向きだが、
基本の基本が曖昧だったことを確認した。
・その一つが、料理を撮るときは対象を大きく写すである。 これまでの経験からして、それをしてきたが、
画面からはみ出すほどは写したことがなかった。 まだ中途半端であったことを事例の写真を見て納得させられた。
・また人物を撮るときは、望遠モードで撮ると対象が浮き出てよく撮れる!というのも、初めて知ったこと。 う〜ん
・「対象の背景のバランスを意識して撮る」のは場数をこなしてきたので、分かっていた。そして背景から逆に
対象の主役を決める知恵は自分でつけていた。これは、中級に入るのだろう。
・写真を撮るさいに、対象の中身を良く知っているかどうかが問題になる!というのも肯けること。
子供を撮るときには、その子供の個性を知った上に、それを引き出すためリラックスさせることも必要だ。
・「写真は、真実を写さない!と、むしろ思ったほうがよい」、というのも本当だろう。そのために演出も必要と。
・被写体に当たっている光を充分に意識するのは分っていたが、写真を撮るさいに、カメラ内の光調整の変更を殆ど
したことがなかった。それと、オートだけでなく、カメラについている機能を、その場に応じて変えることもなかった。
この本を読んで、今年の桜の花の写真を見直したが、10年以上、撮り続けたためか、修正ポイントは無かった。
むしろ普段の食事や、知人とのスナップ写真に大きな変化が出てくるだろう。 対象を純粋な目でみて、それに同化する、
そして、自分が感動し、愛し、一体化し、対象によって撮らされている! というのが、撮る人の中にないと、
良い写真など撮れるものではない。 最近のデジカメ、デジビデオは、素晴らしい! 大自然も普段も、である。
・・・・・・・・・
2966,ミューズが降りる
2009年05月19日(火)
先日、立川談志のテレビインタビューを見ていたら「ミューズが降りた」芸について語っていた。
年に2〜3回はあるという。 話芸の中の人物に魂が降りてきて、自分でも信じられない芸になる。
その幾つかの中の一つの「芝浜」の録画を放映したが、何度か観たことのある録画。名優の演技には、度々あるのだろう。
森光子の放浪記の演技の中でも多くあったはず?。 談志曰く、「その時の芸は自分でも抱きしめたいようだ!」
ーネットでミューズを調べてみると・・・
ー「ミューズ とは、ギリシア神話に出てくる、文芸・音楽・舞踊・哲学・天文・芸術一般などの女神たちの総称。
個々の女神は、Muse ミューズで単数の形になります。 大神ゼウスと、記憶を意味するムネーモシュネー女神のあいだに生まれた、
9人の姉妹とされている。ー 芸の中の人物を演じていると、その人物が自分を観ている錯覚を覚えるという。
霊感の鋭い人の感覚は、鈍い人に解りようがない。スポーツ選手でも、政治家でも、一番勢いの乗っているときは、
誰でも神がかる。神?が本人を使っている状態か。 頭に浮かんだイメージに自分を通してエネルギーを入れると、
魂が入るということだ。芸術品もミューズが降りた神の仮の姿とみれば、違った面も見えてくる。
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05月19日(木)
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