ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3455, 渥美俊一氏死去
10歳の頃、親戚の葬式に親と出席した時に思った、「何で人は周囲の眼を気にして好き放題生きないのだろうか?」と。
子供ながら凄い疑問を持ったのである。そのうちに、その疑問を忘れてしまったが、次の疑問は父親の死に接した時である。
死の瀬戸際から、逆に「生きる輝き」を逆噴射して見つめた視点である。
死に際で、「あと、せめて三年、生きたい」という生への渇望の言葉を聞いた。それが日々強くなっていった。
その時に「人間は生きているそのことだけでベストである」ことを肌で感じ取った。
そのためか、父親が亡くなってから全く人生観が変わってしまった。「一日一日を生ききること」が
人生から与えられた責務と思うようになった。 知人の死だけでなく、身近な人の死も多く教えてくれる。
生老病死 苦集滅道 とは よくいったものだ。 般若心経をパソコン画面に貼り付けておこうか!
・・・・・・・・・・
2715, 「要素還元論」と「二元論」
2008年09月10日(水)
島田雅彦・対談集「無敵の一般教養」の松井孝典の対談で
松井孝典が、考える方法として「要素還元論」と「二元論」を解りやすく手短にまとめていた。
ーまずは、その箇所である。
〜〜
【物事を深く理解しようと思うと、考える枠組みをよりシャープに細かくとっていかないと、
解くべき問題を設定することすらできない。 それがわれわれの脳の仕組みと合っているのかもしれない。
だから、時代とともに、より細かく対象を分け、より細かい領域で物事を明らかにしてきた。 それが要素還元論です。
しかも自然と人間とを分ける。考える主体と認識される客体を、とりあえず分けなければ思考はスタートしないわけで、
それが二元論でしょう。 現代を生きる人は、これまでの教育でそれを徹底的にたたきこまれているわけ。
「わかる」とは何なのかについて、それ以外の「わかる」ということは考えられないわけです。
ぼくは今、地球学とかアストロバイオロジーとかで、二元論と要素還元主義の枠を超えて、
昔のようにとりあえず現代の知の体系のすべてを認識しましょうということを主張しています。
何か新しい方法論が出てこないと、「生命の起源と進化」という問題は解けないと思うからです。
そういう過激な認識を持っているわけです。 とりあえず、二元論と要素還元主義に対抗する方法論として、「システムと歴史」
という見方で、もう一回すべてを見直そうとしています。宇宙も地球も生命も人類も文明も全部一緒に論じようとしています。
数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。
そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付けられている。
そういう種類の以外のことばを持たない限り語れないでしょう。】
〜〜以上である。
なるほど、こういう思考の捉え方があるのには驚いた。
「帰納法、演繹法」発想法として「KJ法」、「テーゼ、アンチ・テーゼ、ジンテーゼ」とか、
情報収集の中での発火(発想)方式などあるが、「要素還元法」「二元法」も、上記の中でしていたことである。
この年齢になって初めて初歩的な知識を得ることの、何か恥ずかしいような、無知の再確認をさせられているようである。
それに加えて、松井教授は、「システムと歴史」という考え方を提示している。これは宇宙、地球システム、人間の歴史、
個人の歴史、全てに当てはめて考えることができる。要素還元法、二元法の限界を、一度「システムと歴史」という
視座に入れて考えると、限界を超えることができるという。「システムと歴史」の意味が理解できなかったが、
人間の歴史、個人の歴史に置き換えて考えてみたら理解できた。「システムと、これまでの始まりとプロセス」ということ。
「数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。
そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付けられている。
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09月10日(金)
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