ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3242, 葬式は、要らない
そこで思ったまま「我われに笑されている自分を、笑っている面だ。それが何とも味があった」と、
その時の本人の嬉しそうな顔は、まだ忘れられない。 上手く褒めた時は、褒めた方も嬉しいのである。
このところ「褒め言葉」系の本を数冊読んだためか、無意識で相手を褒めている自分が、そこにいた。
何時の間にか、それが無くならないように習慣の核にしないと。 先生は幾らでもいるのだから!
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第三章 相手の成長をうながす「ほめ言葉」
ー相手の小さな進歩を見逃さない-精神対話士 Mさん
以下は字数の関係でカット(2010年02月09日
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2008年02月09日(土)
2502, 「体験と偏見による養生の実技100」
「体験と偏見による養生の実技100」の例が、主観的だが面白い。
その中で6項目を書き出し、考えてみた。
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13、中心は辺境に支えられる。心臓や脳を気遣うなら、手足の末端を大切に。指先、掌、足裏など。
解)フランスの、あの「成り上がり大統領」に聞かせてやりたいものだ。
35、人生50年というのは正しい。それ以降はオマケと考えて感謝の日々を送る。
朝、目が覚めたときには、胸の上で手を合わせて、「きょう一日の命を、ありがとうございます」と言う。
眠りにつく前には、同じく「きょう一日の命を、ありがとうございました」と言う。
解)もともと、おまけと考えればよい。 死を悟ったときに気づくことだが。
50、仏教では「われありて、かれあり」という。笑うことは心身によいが、泣くことも同じ。涙は魂を浄化する。
解)泣き笑いか、人生は!
(字数の関係でカット2010年02月09日)
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2007年02月09日(金)
2138, 中年の心象風景
オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン! −読書日記
【人生のことは、小説が教えてくれた】 高橋敏夫著 中経出版
この本の中に、中年期の心象風景を見事に書き出した文章を見つけた。よくぞこれだけ巧く表現できるのか感心する。
中年期も終わり、そろそろ熟年ー初老期に入りかけてきて、人生を振り返ることが多くなってきた。
今まで振り返らないように意識的に前向きに生きてきたが、最近は、「ここまで来れば、振り返るのもよし、
一日一日を一期一会として生き、日々・現在を充実するもよし」の心境になりかけている。
ここには、中年期の人間の心象風景がズバリ語られていた。私は(いや誰もが?)現在でも、この心象風景はつづいている。
いずれにしても、夢と現実の段差と隔離を心の中に抱えて日々を、ただ精一杯生きるしかない、色で例えれば紫色か
ダークブルーの時期である。青年期に抱いたあるべき理想の自分とはかけ離れた自分を、青年期の残像としての自分が
つめる屈折した時期である。(大部分がと!あえて言っておこう)
まずは、その一文を書き写してみよう!
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青春が夢みる時代であるとすれば、つづく中年は夢の実現の時代ではない。
わたしたちのほとんどにとってそれは、夢の不可能を知り、夢という言葉さえ忘れて生きる苛酷な時代である。
夢みることが、「現状の否定」に発するとすれば、その不可能の自覚は屈折した「現状の肯定」になりざるを得ない。
楽天的な「現状肯定」ではなく、「現状の否定」が不可能であることを知った者の「現状の肯定」になるからだ。
しかし、このときわたしたちは、はじめて「現状」というものと直面している、といってよいだろう。
それは否定しようもなく、わたしたち個々人の思いを越えて、たしかにここにある。
現状のおもさをうけとめたとき、わたしたちはようやく性急さから解放される。
現状とむきあい、性急な夢に逃避することなく、ねばりつよく生きることを選ぶしかないのである。
そして、性急な夢から解放されたとき、わたしたちは、ねばりつよく生きることに見合う、ながく、
しずかな「夢」をいだきうるのだろう。夢みる青春からみれば、それは夢でないかもしれない。
たしかに、この「夢」は、青春の夢の廃墟からはじまるがゆえに、夢をこえた夢なのだ。
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02月09日(火)
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