ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3056,人生は旅である
言い換えれば、男性強者の専業主婦たりうる条件は「文化資本を備えた強者の家庭のご令嬢」であるというかたちで、予め限定されている。
未婚率の急上昇、少子化の進行の背景には、この勢いづく「強者連合」によって蹴散らされた「結婚したくてもできない弱者」
の急増という事実がある。 リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というフィードバックを
繰り返して短期的に二極に分化する。その結果はどうなるのか。強者はより強く、弱者は一度落ちたら二度と這い上がれない。
「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。 全ての人が希望通りの職に就けることはあり得ない。
『一生』大学教員になれない博士課程入学者は年に一万人ずつ、『一生』上場企業のホワイトカラーや技術職につけない大学卒業生は、
多分、年に数万人ずつ、『一生』中小企業の正社員にさえなれない高校卒業生は、年10万人ずつ増えてゆく。
これに呼応して、正社員と結婚するつもりだが、一生結婚できないフリーター女性は、年20万人ずつ発生していくのである。(…)
いつかは受かるといって公務員試験を受け続けても、三十歳を過ぎれば年齢制限に引っかかる。
どうせ正社員に雇ってくれないからと就職をあきらめ、単純作業のアルバイトをしていた高卒者は、仕事経験や能力が
身に付かないまま、歳だけとり続ける。 よい結婚相手に巡り会えないからと結婚を先延ばしにしていた女性は、
四十過ぎれば見合いの口もかからなくなる。当の若者は、考えると暗くなるから考えない。
若者自身が、不良債権と化すのだ。(…) 結婚や子供を作ることなく、高齢を迎える元フリーターの中年男性、
女性が100万人規模で存在する社会はどのようなものになるだろうか。」(127−8頁)
 −−−−
これを読んでいると、末恐ろしくなる。自由の裏返しが弱肉強食からくる格差の問題であり、それは差別につながる。
我々の年代は、地方では振り分けされない最終の学校が中学校であった。
(都会は、大学の系列の幼稚園・小学校の付属で選り分けされていた)その時は意識しなかったが、振り返って考えてみると、
ハッキリとした格差があった。その時の成績が、そのまま一生に正比例して拡大しているだけ。
そういえば、私自身、「5つの項目・両親のレベル、学歴、容貌、性格、相性という要素を考え、
それが70〜80?に近い女性で、バランスの取れている人」を基準にしていた。
そして色々あって、ご覧の通りである。「御前自身を考えてみろ!」という声が聞こえてきそうだ。
姉達のレベルからは段差はつけたくなかった。 現在振り返ってみると、嫌な奴!だった。 (・・・・今もそうか?)
しかし、5つのバランスは長い人生を連れ添っていくのに、一番重要な気がする。 それが破綻原因のケースを多く見てきた。
それもこれも、我慢、我慢、忍耐、忍耐ができるかどうかである。 「出来ぬ堪忍、するが堪忍である」お互い様だが。 

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2007年08月17日(金)
2327, ベナレス −2          
               。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、本当のところホッとした。
聞きしに勝るインドという国の文化に、良きにつけ、悪きにつけショックであった。
ヒンズー教とカースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・マハールなどの霊廟や城、ガンジス川とベナレス、
そして古代から現代までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。
その中でもべナレスの街とガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。
そしてガンジス川からみた日の出。ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。
そして我が物顔で歩いている牛。そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。
この本ではベナレスの「死を待つ館」の数家族がありのままを映しだしている。
生も死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てがリアルにそのまま露出されている。
それが日本とは対照的なのである。人生の折り返し地点を越えベナレスに引っ越してきた老夫婦や、

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08月17日(月)
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