ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■3010,垂直な言葉
そうしないと殺される確率が高くなるからだ。初め観たときに誰もが思う「卑怯ではないか!」と。
しかし、ここはスペイン!それが現地の文化?の一つなら一緒に楽しむこと、と決め込み、
何度か自分の良心に言い聞かせて・・ まずは、その一部を抜粋してみた。
ー
スペイン名物、闘牛とは、そもそもそんな主客転倒の様式化といってよい。牛は、平和な原野の牧場から
ある日突然連れさられる。暗闇に閉じ込められて、いきなりドアが開くとまぶしい闘牛場だ。
怒ってやみ雲にも角を振り回しているうちに、あちこち槍だの銛だのに突き刺されて、最後に長剣を刺されて死ぬ。
何が何だかわからない。 一方、客の方は、やれあの牛は闘士がない、いや勇敢だ、角を左に回す癖があってよくない。
いや口を結んだままで強い、右足がゆわい、いやダメな牛だ、いや素晴らしい牛だ、これこそ牛の中の牛だ、等々、
勝手なことを言う。 そして、血の泡吹いて息絶えた牛が、4頭のラバに引かれて退場をするところを、拍手をしたり、
口笛をふいて避難したりする。人間どもの勝手もいいところだ。牛の都合など一切、考えない。
人間の都合と審美観のみを一方的に牛に押し付ける。元々人間対動物の関係は、そういった一方的なものだが。
牛の都合は、実は、無視されているのではない。スペインの人間によって、主客転倒や主客合一の甘露をかけられて、
つまり人間にとって良い牛は、恐ろしい野生の黒牛でもないし、敵でもない。美しい、雄雄しい、勇気ある、
気高い「自分」なのである。強い牛は自分の美点の反映なのである。勿論こっちの自分は、
牛がいくら刺されても痛くもかゆくもない。牛の中に一瞬、自分の美しい反映を認めただけなのだから、
牛がばたりと死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。
こういう便利で自分勝手で、自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、一瞬のうちに都合の良いほうへ
乗り移る「自分」というものを、日常的に心の中に飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって
支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。
ーーー
スペイン人と日本人は違うのです!!
ー以前の闘牛について書いた文章ですー
2002/09/07 パンプローナの牛追い祭り
今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。もし神様が一日だけ
もう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。
今年は例年になく多くの負傷者が出た。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、
毎年放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容であった。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。
この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
(字数の関係でカット弐千八年七月弐日)
・・・・・・・・
2005年07月02日(土)
1551, わたしの酒中日記ー番外
わたしの酒中日記を書き出して、驚くほど昔の記憶が戻ってきている。
居酒屋やスナックのことから記憶と背景をたどっていくと、芋づる式に記憶が次から次へと出てくる。
その記憶をたどると、その時々に精一杯生きていた姿に驚かされる。
真面目?に不器用に生きていた当時の自分の姿が、輝いて思えてくる。
今まで後ろを振り返らないことをモットーにしてきたせいか、最近になって振り返ると、
その瞬間瞬間の記憶が生々しく新鮮に感じる。その時々の心のひだがドンドン思い出されてくる。
しかし書けないことは幾らでもある。 その辺がプロと素人の書き手の違いである。
本当のことは作家以外、そうは書けるものではない。読み返してみると、若さ特有の自意識過剰がそのまま見てとれる。
それが若さなのであろうが。昔のことを書くのは気持ちが重いが、好きな酒を飲んだ思い出なら気楽に書ける。
その切り口からのTPOSの背景を書き出すのも面白い。誰もがフラッシュ的な記憶の断片が脳裏に浮かぶ。
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07月02日(木)
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