ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3
また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。
このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、
このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。
 ??
日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか?
前記の内容からしたら、遊びそのものということが出来る。
ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。
パソコンのインターネットも、携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。
ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。
   死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。
   もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。
                  。・∀・)ノ ホナ!
・・・・・・・・・
2007年04月07日(土)
2195, ファンタジー文学の世界へ ?1
              オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
「ファンタジー文学の世界へ 」
ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社) 
                           ー読書日記
一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、
 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。
ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。
*ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が詳細に設定されたファンタジー小説のことです。
 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。
*それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。
   情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を
 鳥瞰することも必要となる。この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。
 初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を特徴としている。
 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。
   この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。
ーー
  P-23 ■ファンタジーの構造
神話的世界の「英雄」は孤独である。孤独は、「英雄」の条件と考えた方がよいほど、孤独である。
これは人間の人格形成において「自立願望」という母子分離の強烈な心理が、人間の属性だからである。
初期ファンタジーの多くは、明確なイニシエーションをかかえている。
それは、「分離」?>「周辺」?>「統合」という物語の構造で表現される。
依存対象から「分離」は、一人で「周辺」に向かうことを意味する。
それは、「依存対象に頼ることができない」こと、それが孤独なのである。
その孤独から自立への物語には、最後に何かを得て、元の場所に戻る精神がある。
元に戻ることが「統合」もしくは「全体性の回復」になる。・・・・中略
  P-31 冒険(ゆきて帰りし)とは、無自覚な日常感覚に対する警鐘である。
そして、非日常ー冒険で培われたものが、日常に命をもたらすものであり、
人生の新たな価値を模索する道でもある。この道は困難そのものと言える。
この困難を越えようとする強烈な意志こそ、大人への道標足りうるのである。
作者は、人間の成長において、身内以外の父性的存在がある局面で必要であり、
この父性的存在こそが、「わたし」の深奥に導く一つの契機ともなる。・・・
我われの周囲には様々な冒険(ゆきて帰りし)の扉が黙示されている。
その覚知なるものは、現実を積極的(主体的)に観ることの意識化を通して、
もう一つの世界(非日常、内的世界)へ向かうことである。狭き門の両側には二つの世界がある。

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04月07日(火)
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