ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2903, 日本は輸出立国か?
性格もあるが、諦めないのがポイントのようだ。諦めないとは?如何いうこと?
バランスの崩れを直し続けること!それと、心ということか?トキメキを持ち続けること!
そういうこと・・・如何でもよいが!
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2007年03月17日(土)
2174, 14歳からの哲学ー 2
オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。
以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、死について述べている。
(いや、彼女のあらゆる著書の中で述べているが・・)最近、「死」について考えると心地良いのは
どういうことだろう。死を考えることは、生を考えること、人生そのものを考えることだからである。
いや、歳をとったということか。
「あたりまえのことばかり」の中の、V章 生きているとはどういうことかーの一節から・・
ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。
自分が死ぬという経験は絶対にありえない。もう一つの勘違いは、死体を見て、
それで死を見たと思う。ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと色いろなことが
わかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。
それでは「死とは何か」の一般的な答えは、「無になる」ことです。
無というものは無いから無なわけです。無は存在しない。存在しか存在しない。
したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、言われている
無というものは無い。すなわち死はない、ということになります。
にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。
その視点を手に入れると、死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。
無いものを在ると思っているのですから。思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、
これは面白い。ですから、死が存在しないと気がつきますと「人生」という言葉の意味するところが
まるっきし変わってくる。やがて死ぬ、どうせ死ぬとは言えなくなる。
なぜなら死は無いのだから、人生の意味はまるっきし変わってくる。
「あたりまえのことばかり」よりー
しかし、この[14歳からの哲学」の中の死についての説明も、なかなか含蓄が深い。
まずは、その部分を抜粋してみよう。
ー7、死をどう考えるかー P51
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。
人は、「死」という言い方で、「無」ということを言いたいんだ。
でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということなんだね。
無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。
「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。
君はたぶん、死ぬことを恐ろしいと思っているだろう。死んだら何もなくなるんじゃないかって。
でも、何もなくなることは「ない」はずだ。なぜって、「ない」ということは、「ない」からだ。
じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いのだろう。ないものを怖がって生きるなんて、何か変じゃないかと思わないか。
逆に、死んでしまいたいという気持ちになることもあるだろう。 死んだら何もなくなって、すっきりするだろうなって。
でも、やっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは「ない」のだから、それなら、
死ななくたって同じじゃないか。 あるいは、他人を死なせたい、殺したいという気持ちがよぎることがある。
でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする?
生きている人が死のことを知らないのは当たり前なんだ。
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