ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2867, 「ほめる」言葉  − 4
73、人は過去を清算できない。それを背負って生きる。手術をして治ったということは、元に復したということではない。
 解)ただし、管理はできる!
90、こんな時代に毎日、明るく爽やかに生きていける人は、病気である。
  「世間病むが故にわれ病む」というのが人間的な人間である。
 解)明るいふりでも、した方がよいのが人間の心じゃないですか!
 ー  
 著者が言っているように他人に効果があるものが必ず自分にも効果が出るとは限らない。
自然体で生きるべきということ。しかし、その自然体というのが難しいのである。
いずれにしても、生まれてきただけで、生きているだけで良いじゃないですか。
それが解ってないから苦労するんじゃないですか、人間は!

・・・・・・・・・
2007年02月09日(金)
2138, 中年の心象風景
           オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!       −読書日記
【人生のことは、小説が教えてくれた】 高橋敏夫著 中経出版

この本の中に、中年期の心象風景を見事に書き出した文章を見つけた。よくぞこれだけ巧く表現できるのか感心する。
中年期も終わり、そろそろ熟年ー初老期に入りかけてきて、人生を振り返ることが多くなってきた。
今まで振り返らないように意識的に前向きに生きてきたが、最近は、「ここまで来れば、振り返るのもよし、
一日一日を一期一会として生き、日々・現在を充実するもよし」の心境になりかけている。
ここには、中年期の人間の心象風景がズバリ語られていた。私は(いや誰もが?)現在でも、この心象風景はつづいている。
いずれにしても、夢と現実の段差と隔離を心の中に抱えて日々を、ただ精一杯生きるしかない、色で例えれば紫色か
ダークブルーの時期である。青年期に抱いたあるべき理想の自分とはかけ離れた自分を、青年期の残像としての自分が
つめる屈折した時期である。(大部分がと!あえて言っておこう)
 まずは、その一文を書き写してみよう!
−−
青春が夢みる時代であるとすれば、つづく中年は夢の実現の時代ではない。
わたしたちのほとんどにとってそれは、夢の不可能を知り、夢という言葉さえ忘れて生きる苛酷な時代である。
夢みることが、「現状の否定」に発するとすれば、その不可能の自覚は屈折した「現状の肯定」になりざるを得ない。
楽天的な「現状肯定」ではなく、「現状の否定」が不可能であることを知った者の「現状の肯定」になるからだ。
しかし、このときわたしたちは、はじめて「現状」というものと直面している、といってよいだろう。
それは否定しようもなく、わたしたち個々人の思いを越えて、たしかにここにある。

現状のおもさをうけとめたとき、わたしたちはようやく性急さから解放される。
現状とむきあい、性急な夢に逃避することなく、ねばりつよく生きることを選ぶしかないのである。
 そして、性急な夢から解放されたとき、わたしたちは、ねばりつよく生きることに見合う、ながく、
しずかな「夢」をいだきうるのだろう。夢みる青春からみれば、それは夢でないかもしれない。
たしかに、この「夢」は、青春の夢の廃墟からはじまるがゆえに、夢をこえた夢なのだ。
 現状否定から現状肯定へと移行するように見えて、その逃れえぬ環境でねばりづよく生きることで、
わたしたちはしずかに、だが着実に現状を変更し、わたしたちじしんを変更していく。

ここには、現実の大きな力によって押され退きつづけながら、ここからはもう退けないという思いがあり、
生きつづけることでいっそうふくれあがる破壊衝動があり、家庭の中の男と女の従来のあり方への不満があり、
見方を変えることで生にあらたな実感を導きいれようとする試みがあり、生活の細部でつながる、切れそうで
切れない人と人の関係があり、そして、情痴のさらにその奥のさらにその奥の情痴へとつきすすむ紛れのない
生の暗い輝きがある。              
 ーー
 〜 以上だが、何とも中年の風景をそのまま見事に描き出している。
この内容は、決して中年期だけでなく、人生の最晩年でも味あう深い諦念でもある。

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02月09日(月)
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