ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2864, 「要約力」を要約する
耐えることができなくなると、それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。
・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれることがある。
しかし、私はもはや人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。
祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。
祈るときキリストは私の前に立ちたまう。私は独りではない。
人生に意味を失っている友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、
「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。
解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった人間に対し、神を信じろという言葉に等しい。
 その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか?
 40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。

・・・・・・・・・・
2007年02月06日(火)
2135, 時間についての一考察 −2

        b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
    前回につづき「今ここ」について、「哲学はこんなふうに」(スポン)の中の
   『第10章 時間』から更に書き出しながら考えてみよう。時間は「自分」を考える上で意味が深い。
    直感としての瞬間としての、「今ここ」の垂直に立ち上がる、永遠を考えると奥行が深い!

  ーーーーー
現在がすべてだというのに、我々は現在の外に出ることが出来るのだろうか?
精神でさえも現在に属しているというのに、どうして我々がそんなことを望むのだろう?
人生は、我われを脅かす運命や猛獣のように、未来の中に潜んでいるわけではない。
天国や約束のように天空の中に隠されているわけでもなく、
牢や檻の中にあるような過去の中に閉じ込められているわけではない。

    我われの人生はいまここにあるのであり、いま現にあなたが生き、おこなっている当のものであり、
    存在のただ中にー現実として生きていることの果てしない嵐の中にーあるのだ。
    セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、期待を持つことだ。
    ・・将来のことすべては、不確実の領分に属している。いますぐに生きるべきだ」

今日を楽しめ!ということなのだろうか?それだけでは足りない。
日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。 むしろ現在を楽しむことだ。
現在は変わりながらも連続しているのだから。だから、永遠を楽しめ! それは瞬間を生きるということなのか?
そんなことはない。瞬間のうちで、試験の準備をしたり、休日の計画をたてたり、約束を守ったり、
友情や愛情を築きあげることはことなどできるわけがない。

    では、現在を生きるということなのか?それがただ一つの道なのだ。
    未来において、はたらいたり、楽しんだり、やりくりしたり、
    愛したりできるはずもない。現在だけが行為の唯一の場であり、
    思考の唯一の場であり、記憶と期待との唯一の場である。
    それがカイロス(好機、行為すべき時)であり、あるいはカイロスとしての世界である。

存在が時間の中にあるのではない。存在が持続するからこと時間があるのだ。
現在を生きるということは、どういうことなのだろう?
たんに真実に生きるということだ。 我われはすでにその王国中にいる。永遠、それがいまなのだ。
  ーー
  
「いま・ここ、それ以外何もない、そして、たんに現在を真実に生きること」ということだ。
そうすると、誠実に純粋に生きるということが最も大事なことになる。それが永遠の命を得るということだ。
「亡くなった人に会えなくなる!というが、それは未来の期待である。
確かに会えなくなるのは事実だが、しかし亡くなる前よりいま・ここでは、自分の心の中では深くなっている」と、
以前書いたが、いま・ここ、という時間を考えると、その意味が理解できるようだ。
 
  我われの生きている数十年など、宇宙時間から考えれば一瞬でしかない。

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02月06日(金)
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