ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2794.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・3
という内容に関しては、深い経験をしているように思えたが、どうであろうか?
両親が亡くなったときに、あくまで夢?であるが、色いろな体験をしているからだ。
父の場合、父の方の心理そのものになったり、母親も最近まで夢の中に出てきたからだ。

{全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」に存在するのではない。記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。}

「記憶をなくした男」の映画を観たことがあるが、まさに上記のとおりである。
「自分が何者かわからない」ほど、恐ろしいものはないと、
寒気がしたのを憶えている。ただ、虚無が自分を取り囲んでいるだけだろう。
本人がどうしてよいか解らない心理が、その映画で出いていた。
「過去を消したい」と思うのは、都合の悪い過去を消したいだけである。
「いま、ここ」は、全過去があるからこそ、垂直に立ち上がる。

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他者の死はなぜ悲しいのかーB
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*心の中で生きているとは、どういう意味なのか? 肉体として存在しないけれど、
記憶として存在する他者は、その限り、「存在する」。この存在の意味を考えてみよう。

死んだ人が心の中で生きている、しかし、先に我われは、
死んだ人はあの世にいると納得したのではなかったか。
心の中にいながら、あの世にいるその人は、すると、どこにいることになるのか。
彼は「今」どこにいるというのか。生きていたのは誰なのか。という、
かなりの程度奇妙な問いが、押えがたく立ち上がってくるのが、ここである。
更には、「生きている」ということすら、
肉体の所有と消滅で理解できるような自明な何かなのか。

    肉体として消滅してなお、死者は生者の記憶として存在する。
    死者の記憶を心に抱いて、生者もまた死者になる。
    それなら、その人が存在したということはなかったことになるだろうか。
    そんなことはあり得ない。存在したことは、存在する。すなわち過去は現在である。
    全過去はこの現在に存在しているということだ。

全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で、存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」存在するのではない。 記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。

    死者の記憶が存在の一風景なら、
    現在に自身を生きていると思っている生者にとってそうだろう。
    自身の生の記憶を抱いて、生者も死者になる。
    このように自覚する時、生きているか、死んでいるかは、
    もはや存在の記憶として明滅する我われの、仮の衣装にすぎなくなる。
    さらには、生者の記憶にその姿で存在している死者も、
    別の衣装をきて何処にか存在するだろう。
    存在しないということはないからである。
    ここで時系列の逆の側、すなわち未来の意味が現れる。
    したがって、未来もまた存在の記憶と言えよう。

生きてきたのは誰なのか。裏返し、生きているのは誰なのか。
にもかかわらず、明らかに、他の誰かでない彼であるところのその人は、存在した。
ある時そこに生きていた。
言葉の正確な意味で「唯一無二の」その人を喪って、喪った人はその人の死を悲しむ。
やがては、時間が心を癒すだろう。 彼の存在を、無限的存在のひとつの風景として
見ることができるようになった時、「一期一会」、この奇跡的出来事への感謝の感情が、
地上にあることの悲しみの感情に、代われるのではないか。
  −−−
   現在、こうしてあること、そして考えている自分を、
   あらためて振り返ると、本当の不思議そのものである。
   大いなる孤独が、宇宙に浮いているという感覚になる。
                    └(=^O^=) バイバイ!
・・・・・・・・・
2005年11月28日(月)

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