ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2793.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・2
そして、今日では、コンピューターと哲学をめぐる聞題群はさらに広がっている。
1980年代から始まったコンピューターのパーソナル化は、予想を超えた速度で進行し、
コンピューターはあっという間に個人的生活の内部にまで浸透した。
コンピューターは、もはや、われわれに脅威を与える他者という遠い距離に留まるのではなく、
完全に環境としてわれわれを取り巻くようになった。 そしてさらに、コンピューターと
われわれの関係はさらに密接になっていき、〈われわれの外部としてのコンピューター〉
という性格さえ危ういものとなっていく可能性が出てきた。
つまり、現在さまざまな形で間題となっている〈バーチャル・リアリティ〉である。
われわれわれは、今やそれをわれわれの身体の一部として、あるいは頭脳に一部として組み込もうとしているわけである。
その意味で、人問とコンピューターとの結びつきは、もしかしたら、
着実に進行しているのだろう。それは、脳に直接機械を埋め込むという、
ミンスキー教授が言うような原始的な方法によってではないかもしれない。
われわれの環境が、電子的に媒介された映像などで満たされていくとき、そして、
人々のコミュニケーションがほとんど電子的な媒介によって営まれるようになったとき、
われわれの現実感の変容という形で、それは進行していく。
コンピューターは、人間とはなにか、を逆照射してくれるあらたな他者として、
今日、きわめて意味深い存在者なのであるが、今後、人間は自己規定をどのように遂行していくのだろうか。
あくまで、人間性にこだわっていくのか、それとも、そんな課題は放棄してしまうのか。興昧は尽きないのである。
−−
10年先、いや5年先さえ、想像すらつかない変容が待ち受けている。
それを見るだけでも現代に生まれた良かったと思っている。
ヽ(。・c_,・。)ノ バイ
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2006年11月27日(月)
2064, あたりまえなことばかり −15
o( `▽´ )Ψオハヨウ!
7歳の頃、一番上の兄が死んだ時に姉に「死んで兄ちゃん、どこに行ったの?」と聞いた。
そのときの姉の答えは、「白い馬になって、空の上の昇っていたいったのよ」であった。
数日後、兄が白い馬になって空に昇って行った夢をみた。
子供ながらに、その時の両親と兄・姉の悲しみは敏感に感じ取っていたのだろう。
こういう経験を重ねて、死は怖いもの悲しいものという先入観が植え付けられたのだ。
亡くなってから何度か「どこかに行っていた兄が帰ってきた夢」をみた。
空の彼方からというより、そのつど事情が変わっていた。
兵隊から帰ってきたり、旅行より帰ってきたり・・・
人は元気で長生きをしなくてはならない。世界も、自分も変わっていく。それは遥かに予測や想像をこえている。
いま、ここは全てである、しかしその全ての背後に得体の知れない世界がある。
それを知りえるには、変化していく自分の世界と経験の蓄積の範囲でしかない。
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他者の死はなぜ悲しいのかーA
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言語と論理に即して考える限り、「死は存在していない」。自分の死は言うに及ばず、他人の死すら「見つからない」。
しかし、だからこそ、「他者が死ぬ」とはいったいどういうことか悩ましいなぞとなる。
死は存在しないが、死体は存在する。他者の死体の存在によって、現実の出来事になる。
死の境によって動いていた体が動かなくなる。この変化の意味、これが理解できない。
理解できないまま、死体は然るべき手順で処理され、無くなる。
死体として存在していたものが、もう触れることも出来なくなる。
我われが他者の死を理解したと思うのは、やはり物理的肉体の消滅、その確認ということだ。逆にいえば、
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11月27日(木)
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