ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん!
書店の写真コーナーでは、時間を忘れてしまうほどである。
旅行に行った先の写真が、あまりにも綺麗に撮れていてドッキとする。
それが次から次へと出てくるから驚きである。それも最近は、どうぞ座って見てください!と椅子まで置いてある。
現場に行っているから感激が倍増するのだろうが、天候や見る角度などで違って見えてくる。
カメラが人間の視覚より機能が上ということもある。 これも情報化の一つである。
ーー
*閑散の会場の大相撲本場所
大相撲の九州場所をTVで見ると、初日三〜四割、平日には二割しか入っていない。
相撲関係者の宿泊や、夜の世界人たちや、タニマチだけでも年一回の本墓所、もっと入ってよいはずだが。
相撲などは会場などの熱気を差し引いても、家で大型TVで観るのも同じレベル?か、それ以上になってしまったことも
ある。 それと格闘技のアナザー・ワンになったこともある。こんどのリンチ殺人事件と、朝青龍の問題も大きな要因だろう。
それよりも来年の初場所、皇室が観戦に来るかどうかの方が興味がある。
ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю
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2006年11月20日(月)
2057, あたりまえなことばかり −11
オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! −読書日記
「死と生」は、考えるほど不思議で尽きない。この無限の宇宙の中で、何で此処に自分が存在しているのだろう。
60年生きてきたが、「自分にとって死はない」というし、永遠は「いま、ここ」にしかないというし、
人間しか持ち得ない「観念」によって、動物のように十全に生きられないというし、
人間しか持ち得ない精神の思考によって、生物体としての死の恐怖を看破し得るという。
先入観ー馬鹿の壁ーがビッシリと脳にこびり付いていた自分の人生に、ここで気づいている愚かさ!
そして、周囲を見て、まあいいか、と思っている愚かさ!自分にとっての時間は生まれ死ぬまでの時間ではない。
永遠は、「いま、ここ」に、垂直に、立ち上がる! なるほど、その通りである。
我を忘れるほどの感動の、あの瞬間! 縦に立ち上がっていた! 永遠に今も続いている。
薬物でもできそうだが・・・
それは、末期の時の一服の楽しみとして、とっておこう!
**** Ψ( `▽´ )Ψ ケケケケ♪
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*死ぬことは不幸なことか −@
人間のみが自殺する生物であるのは、人間においてのみ、死が観念として対象化されているという
事実を端的に示している。 観念でない現実の死。とは、どういうことなのか。
多くの人が、人間は死に向かう存在なのだと長く教えられてきた我われが、そのまま長く思い込んできた、
未だ気づかない間違いが、ここにある。考えてみれば、観念でない現実の死を考えるとする正にそのことによって、
死は常に観念となるという事実。観念でない現実の死など、観念としてしか存在しない。
しかし人は死ぬではないか、と人はいう。確かに現実に人は死ぬ。死ぬのは常に他人であるという事実について考えてみる。
他人の死は自分の死ではない、そこにも自分の死は、存在してない。
人は、他人が死ぬのを見て、死を観念として対象化し、それを自分に類推して、自分の死が現実に存在すると、
思い込んでいるに過ぎない。ここでもあくまで観念でしかない。 笑うべきことだが、自分の死を考えようとして
与えられている思考の真空、自分がいないとということを、考えている当の自分に、
どうして考えることができるのだろうか!かくして、哲学が誕生することになる。
精神は思考することによって、生物体としての死の恐怖、その錯覚を看破し得る、だから、考えることこそが、
善く生きるということなのだ。おそらく、生物に存在するのは生存本能であって、死の恐怖ではない。
生きようとするために死を避けるのであって、死を避けるために生きているわけではない。
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11月20日(木)
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