ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2728, 議論に絶対負けない法 −3
彼の目に映ったのは、周到に準備した事実の貯えを持つことによって思いのままにふるまうことのできる一人の弁護士だった。
裁判官はことの成り行きを理解し、もちろんその弁護士の申し立てを却下した。 私が階審員に論じる番がくると、
その弁護士は何度も立ち上がって異議を申し立て、私をさえぎり、私の議論のカを無効にしようとした。
−−−
後記)以前、銀座ナンバーワンのママとホステスのノウハウについて、取りあげた。
店というステージに立つ前の顧客への決めの細かいサービス(誕生祝い、ゴルフ、ビフォアー・・)に徹している。
準備準備準備準備なのである。それを趣味にする位に努力しないと、相手に伝わらないことは一番に本人が知っている。
・・・・・・・・・
2007年09月23日(日)
2364, 哲学とは何か、考えてみようか?
Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。
脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しになってしまう。
色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。
その手っ取り早いのが哲学である。それも、同じことを同じように、
何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・・
私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。
何ごとも初めは心と頭を空にして(空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。
解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、全て邪魔になる。
それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。
ーーー
「狂人三歩手前」 ー中島義道著
ー夏には哲学がよく似合うー P-51
メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」
脳髄の中はクルクル思考がまわっている。
この「私」とは何者なのか?
太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?
太陽から私の身体までのこの空間とは何なのか?
このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」に支えられて
初めて見えるということだ。空間は見えない、時間は見えない、今ここに開かれている
この風景以外の世界は見えない、過去も見えない、私も見えない、私の脳髄も見えない、
他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま
眼前に広がっている。ここにメルローーポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。
カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。
フムフムいいそ、いいそ……。哲学者とは、夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えているヘンな奴である。
メルローーポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。
「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。
そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということである。
この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者である。
いや・もう一つの条件を加えておこう。どんな場合でも、周囲世界に埋没していないこと。
いかなる事件が起ころうが、適度な距離をもって冷静に世界を眺めていること、
つまり、「冷たい」厭な人間であること。プラトンは哲学の開始を「驚き」と言ったが、
ひとの驚くことを驚かず、人が驚かないことに驚くといい換えてもいい。
テロが起ころうが、いかなる残虐な事件が起ころうが、驚かないが
(私は地下鉄サロン事件にもアメリカの同時多発テロにも全然驚かなかった)、
「見えることの」の不思議さに警き、いつも「いま」であることの不思議さに驚く。
思うに・女性哲学者が皆無なのは、こうした「驚きのズレ」がないためかもしれない。
少なくとも、私は五十数年にわたる人生において、こういう驚きのメカニズムを有した
女性にお目にかかったことがない。勿論、不安定なあるいは病的な人はいくらでもいる。
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09月23日(火)
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