ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2626, 世界バブル経済終わりの始まり −1
ドラッカーが『創造する経営者』の中でも、「知識は消え去りやすいものである。
したがって始終、再確認(リコンファーム)し、学び直し(リラーン)、
習練(プラクティス)し直さなければならない」と知識の扱い方を述べている。
さらに同書で、「知識が知識であるためには、進歩しなければならない」と。
知識は最も腐りやすい、そのため絶えずリニューアルすべきことについては、
「知識をラーン(学習)し、リラーン(再学習)し、アンラーン(脱学習)が、知識管理の大前提である」
と述べている。
ーー
アンラーン(unlearn)すなわち“離脱学習”は、日本の弓道の「守・破・離」の「離」に酷似し、
仏教の「諦め」という言葉にも通じる。 知識から知恵への転換ということだ。
自分も含めて知恵の無い人が多いが、知恵に転換するまで知識に対しては貪欲に求め続け、
かつ掘り下げなければならない、ということだ。
満60歳という歳は、人生の「アンラーン」の時期かもしれない。
一度、編み上げたセーターを解きほぐし、改めて新しいセーターを編み上げる転換期、
競馬でいう第四コーナーを回っているところだ。 少し息が上がってきた?・・・
そんなことはない、直線も面白そうだ!アンラーンか〜! 「一生、一書生」という言葉もあるが。
「社会的な形式にこだわっているには人生は短すぎる!」「アンラーン!」
byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・
2006年06月12日(月)
1896, ダ・ヴィンチ・コード
ー映画日記
才八∋ウ_〆(∀`●)
何時も、映画はWOWOWかレンタルDVDで観ているので、久々の映画館は新鮮である。
レンタルDVDの店が会社の近くに出来てから、映画館に行く回数が減ってしまった。
昨日、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。
全世界で5千万部、日本で五百万部売れた本の映画化である。
ダ・ヴィンチの深い暗示が「最後の晩餐」の絵の中にあるのかと思っていたが、
あくまで漫画的な奇抜な内容の域を出ていない内容。
難しく考えないで、推理小説の映画化と割り切って観ればよいが。
「最後の晩餐」の中の13使徒の一人の男が、よく見ると女で、それも娼婦だった
マグダラのマリアという設定。 マグダリのマリアといえば重度の生理の売春婦で、
よいイメージを持たれてない。何故、ダ・ヴィンチが彼女を「最後の晩餐」の中に入れたのだろうか?
という疑問の謎解きストーリー。マグダリのマリアがキリストの子供を宿していて、ヒロインが
その血筋という設定になっている。
キリスト教徒にとって、大問題になっても不思議ではないが、娯楽小説と無視しているようだ。
ストーリーでは、「マグダラのマリアがキリストの子供を宿した事実が二千年の間秘密にされ、
その事実と血筋を消し去ろうという勢力と、守り抜こうとする二つの勢力が、
秘密裏の戦いを繰り広げられてきた」という設定。
『聖杯』の意味は実をいうと、「キリストの直系の女性の血筋」という着想が面白い。
キリスト教に関係ない世界の人にとって、「それが如何した!」というレベルでしかない。
敬虔なるキリスト教の信者にとって許しがたい内容で、ノーカットは日本とインドと、あと数カ国という。
ところで、「キリストは存在していたのだろうか?」という原初的な問いを、
イスラエルの旅の由緒ある寺院でたててみたことがあった。
一瞬、周りにいた数人に凍り付いた雰囲気が漂った。
隣にいた無口の教養のありそうな人が、おもむろに低い声で
「当時のローマ帝国の古文書の中に、キリストと思しき人の処罰の
問い合わせが有る。間違いなく存在していた」と答えてくれた。
近年、発見された古文書(20世紀最大の発見といわれている)に
「キリストは存在してなかったのではないか?」という疑問の文章があったという。
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06月12日(木)
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