ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2423, 夢のようなホントの話
    人は、自分が肉体として生き死ぬ自分でない存在であることを知る。
    生きているか死んでいるかが、なぜ今さら問題であり得るのだろうか。
    すべては永遠に存在し、永遠に生成する。
    今この瞬間に直感されるそれは、したがって、「死後」ではない。
    死後などない。死後は死後に存在するのではない。
    生の真っ只中においてこそ、それは永遠の時間として知られるものなのである。

ギリシャ人たちが、肉体を墓場であると呼んだことの背後には、このような確信が存在している。
精神でありながら、同時に肉体である我われが、永遠の存在であると同時に死するべき存在である。
しかし、死への恐怖に衝き動かされながら、直線時間軸上をよろめきながら、歩いているという
惨めな表象が錯覚であるとしたら,逆に肉体こそ死後であろう。 したがって、肉体が死ぬと
いうことは、本来の「生」、すなわち永遠的存在への開放に他ならない。

    死ぬということは、精神の再びの誕生として、祝福すべきことでなかろうか。
    だからと言って、死すべき肉体を粗末に扱うということにはならない。
    摂食、生殖、快楽の意味、幸福の源泉であることで不幸の源泉でもあるところの
    肉体を、精神がどのように扱うか、それが肉体によるこの生を、
    われわれが経験していることの意味だからである。
    この生で幸福になるのでなければ、どの生で幸福になることができるのだろう。

じっさい、このような言い方は可能なのだが、生きながら死んでいる、
かの「永遠」を想うその時間、思考の切っ先が幽明の境に溶け出していくような、
自分が誰で何であるか、およそ知りえないことすら快いような、それはその意味で
至福の時間なのである。いや、時間ではない。形而上には時間はないのだから、
「存在」と触れ合ったその刹那、全方位に底が抜ける万象の光景というべきだ。

   今ここに(生きて)在ることの奇跡、とは、正確にはこのような自体をいうのだろう。
   死なずに生きていることが奇跡ではない。 存在が存在していること、
   そのなぞに驚いていること自分が存在していること、そのことが奇跡なのだ。
   すなわち、謎なのだ。謎を見てしまった者にとっての幸福とは、何か、
   謎と心中することと似ているだろう。観念にすぎない死を恐れ、
   観念にすぎない死後を空想することの、不幸は、真正の形而上学を経ることで、
   何がしかの甘味な困惑へと変容するはずである。
   
  ーーーー
  身体は、生の墓場か?  はたまた、糞袋か?それとも、
  手、足、頭という機能付き道具? 考えれば、いくらでも挙げられる。
  割り切って、それぞれを使うべし!ということである。 
                (*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・・
2005年11月22日(火)
1694, 「官から民への流れ」の一現象

 選挙の自民大勝を受けて本格的に
 小さな政府に向けての動きが本格的になってきた。
 まずは政府系の金融機関の大鉈がふるわれることになった。
 中小・零細企業は大きな岐路に立たされる。  (X_X;)    
 ところで身近でも、面白い動きが出てきた。 求人を出していたところ、
 『財団法人・雇用能力開発機構センター』という所より連絡が入った。     
 国から、雇用を促進するために委託をうけた独立行政法人という。
・雇用保険を受けている人で、ある職業を希望している人の仕事を
・三ヶ月間、希望先で実習・訓練して、互いに合格すれば入社をする。
 お互いに不一致でも、本人の職業訓練になる。   
・その期間、求人側は採用不採用に関わらず約2万5千円を補助してもらえる。    
 求職者も雇用保険を貰いながら、一日500円の日当が支払われる。
・パート、準社員の求人でも雇用保険と社会保険が支払われれば適用範囲になる。         
  ( )
   ‖┓  (( 
  (_)  匚P 
   ━┻    

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11月22日(木)
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