ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2396, 白い壁とドア
    その人たちの《私》は自らの「超越確実言明」を守る方向に走るからです。
    そのような呼びかけに答えてくるのは、同じく「死ねば楽になる」と感じ、
    死を決意している人たちということになる。
    それはお互いの《私》の「非存在=存在の否定」を引き受けあうのだから。

「《私》の存在を引き受けてもらう」はずの行為が、
「《私》の存在を否定すること」を通して行われるからです。
存在の引き受けは、「存在しつづけることを引き受ける」ことであるはず。
しかし集団自殺は、「ともに存在しなくなること」を引き受けあうになって
しまうからです。

   {解}死に際まで独りでは不安なので一緒に行こうという弱者の論理も
    なるほどと思わないでもないが・・・「死にたいやつは死なせておけばよい」
    と同じ意味で彼らは「死にたいのだから勝手に死なせて」というレベル。
    壊れたラジオは自分地震で自らを直すことが出来ない・・・
    この本を読むまで、自殺について考えたことがなかった。
    しかし考えれば考えるほど、自殺を否定できなくなった。
    自殺を否定したのは、「支配階級が最下層の働き手のロスを最小にするために
    つくり上げた価値観でしかない」という論もある。
    ーー
*正しい自殺*

正しい自殺とは、一回性の人生で、闘いぬき、他の物語を時間の許す限り試し、
その結果としてギリギリの判断において、
「死ぬことによってしか、<私>が<私>でありつづけることができない」
と考えるとき、それは「正しい自殺」となるということです。
これは「名誉のための死」とか、「誰かのための死」を称揚するのではなく、
あくまでも「<私>でありつづけるために死ぬ」ということである。

  ーーー
後評) 正しい自殺かどうか判断できないが、
イスラエルで初めて知った「マサダの砦の集団自殺」である。

マサダ砦は、死海の西南にある要塞。
ヘロデ王の建てた離宮だったが、70年のローマに対する反乱時、
過激派のユダヤ教徒が最後の砦として篭城したが、ローマ軍によって落とされ、
その後2000年間、ユダヤ人は流浪の民となった縁の地である。
ケーブルカーで頂上まで上がるとヘロデ王の宮殿、サウナなどが残っている。

    一世紀、ここを要塞にして戦ったユダヤ教徒約1000人は2年の篭城の後、
    ローマ軍に侵入される直前に集団自殺を遂げた。
    下を見下ろすと、ローマ軍の陣地となった場所がくっきりと見え、
    攻撃のため砦に向かって積み上げられた人工の山が残っている。
    その完成の前日、女子子供数人を残して集団自殺を決行した。
   「奴隷になるよりも死んで自由を」という言葉が、有名である
    現在イスラエルの新兵の入隊式はここで行われるという。
    この集団自殺が正しいかどうかは、歴史が判断するのだろうが、
    意味の無い集団自殺ではない。

肉体的な苦痛から逃れる自殺も、ある意味で容認されてよい。
それは肉体の死によって、肉体の耐えられない苦痛からの避難になる。
現在の社会は、その死を認めていないのは明らかに誤りである。
苦痛の緩和の体制ができていて、その上での話なら別。
  自殺の是非も含めて、全て根本より疑うことも必要なことだ。

         \(^▽^*)バイ!
・・・・・・
2005年10月25日(火)
1666, 日本のこれから 今どきの若者たち

先週の土曜日のNHKで、ゴールデンタイム19時半〜22時半まで三時間にわたって
「日本のこれから 今どきの若者たち」 の討論がおこなわれた。
若い人は、何を考えているのだろうと興味を持って最後までみた。
私の場合、三十年以上も若い人を身近でみてきたこともあって、
こんなものだろうという諦念があった。

若者、中年、芸能人、社長など多彩なタイプの人を集めたのが良かった。
一番印象的だったのは、
ハンガリーの若い女性の意見であった。

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10月25日(木)
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