ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2384, こころの旅 −1
それがこころの旅のゆたかさにとっていちばん大切な要素だと思うのだが。
あまり大切なことは、ことばで多く語るべきことではないように思われる。
それでこれはヒトのこころの旅がかなでる音楽の余韻のようなものにとどめて
おくことにしたい。
・・・・・・・・・
2006年10月13日(金)
2019, 「私」のための現代思想 −11
(。^0^。)ノ オッ (*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
我われは顔を露出することによって呼びかけている。
多くの場合、「顔」を合わせることが「呼びかけ」になる。
「呼びかけ」は、常に同時に発生するが「先に呼びかけられた」と
感じる奇妙な性質を人は持っている。
「自分の居場所がない」ということに人は非常に敏感である。
居場所は、他者の存在によって支えられている。
《私》を支えているのが<他者>だから、<他者>が存在しなくなれば、
《私》の存在そのものも危うくなります。
<他者>の「呼びかけ」に応答し、その存在を望むことが、すなわち
「<他者>をもてなす」ということです。
そしてこの他者をもてなすことが、すなわち「《私》の居場所をつくる」
ということであり、それは《私》の存在を確かなものにする」ということ
そのものです。それがお互いにとって「ともに生きる」ということです。
ーー
第四章「私」にとって「他者」とは何か −B
=「ともに生きる」ということ=
−なぜ人は顔を露出するのかー
<他者>が《私》に呼びかけるということは、
音声による呼びかけだけを指しているだけではありません。
実は、私たちは顔を露出することによって呼びかけています。
「呼びかけ」は一方からのみ行うものではありません。
つまり、<他者>が《私》に呼びかけるということは、
《私》が<他者>に対して「呼びかけ」を行ったことの帰結です。
そして多くの場合「顔」によって行われます。
ここでいう「呼びかけ」は、常に同時に発生し、両者とも常に
「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を持っています。
このような現象を、私たちが「顔を露出し、顔によって呼びかけている」
ことによって発生します。
人は常に「存在している」ことを前提として生きています。
「ともに生きる」こと、そして「呼びかけ」「呼びかけられる」
ことを前提として、人は顔を露出しているのです。
ーゴフマンの「共在」−
アメリカのゴフマンは「共在」という概念をもとに、
「よびかけ」「よびかけられる」何らかの状態で存在しています。
それぞれが、その場で「役割」を振り当てられ人間関係が発生する。
そして、その場の雰囲気によって次第に関係が固定化していきます。
そのような状況のことを、ゴフマンは「相互関係秩序」と呼んだ。
その中で、「自分が正しい居場所にいない」ということに、
非常に敏感になり、信じられないほどの鋭い嗅覚を発揮します。
人は、常に「先に呼びかけられた」と感じる存在です。
<他者>からの「呼びかけ」に対する「応答」は、
「個別の正しさ」に照らし合わせるしかほかありません。
その場合、「個別の正しさ」とは、それまで「私」が追及してきた
「論理的正しさ」のことです。
この世界が進む方向は、「論理的正しさ」の合計によって決定されます。
それぞれの「私」が、その場所の「個別の正しさ」を追求していくなら、
世界は「ベストの方向」へ変化していくはずです。
ー自分の「居場所」が無いことの意味ー
私たちは「共在の場」には入り、その場での「相互関係秩序」を意識し、
それを変化したり、維持したりするという仕事を行っていく必要があります。
<世界>の成り立ちや秩序は、私たちを束縛し、苦しめることになるが、
その逆に、私たちがよりよく生きるために必要なものとして存在します。
この秩序をつくり上げているのは、他でもない私たち自身である。
多くの場合、「自分の居場所がない」ということは、「相互関係秩序」の中で
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10月13日(土)
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