ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2326, 被災地・柏崎の現在の事情
我われの生活に根ざしている習慣になって、夏の季節の節目となっている。

    盆は、先祖や亡くなった人たちの精霊(しょうりょう)が
    灯かりを頼りに帰ってくるといわれ、十三日の夕刻に、
    仏壇や精霊棚(しょうりょうだな)の前に盆提灯(ぼんちょうちん)や
    盆灯籠(ぼんとうろう)を灯し、庭先や門口で迎え火として麻幹(おがら)
    をた焚きます。それが「迎え火」です。

十四日、十五日は、精霊は家にとどまり、十六日の夜、家を去り、帰っていくという。
迎え火と同じところに、今度は送り火をたき、帰り道を照らして、霊を送り出す。
これを、「送り火」という。  
ー                  お茶どうぞ ( ^-^)_且~~~
   こんなところだが、
   現在では、お寺の稼ぎ時のイベントとしか、思えないが・・。
                   \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・
2005年08月16日(火)
1596, 概念とは

随想日記を(旅行以外は)必ず書き続けると決心して4年3ヶ月経つ。
その日以来、一日単位の柱がこの随想日記を書き上げることになった。
散歩をしていても、寝ていても、全てこの日記を書き上げることが中心である。
膨大な集中力とエネルギーを使う。
そこまでして何で書き続けるのか?
充実感があるからだ。また、ギリギリのところが面白い。

随想日記とは何かと考えてみると、ミニ物語を創りあげることである。
そのミニ物語も語り続けると、その連続が物語になっていく。

概念は、単語ー> 単文ー> 複文ー> 段落ー> 文章ー> 物語ー>
思想ー>となっていく。
論理的構造をつくることが、概念化ということになる。
過去の歴史上膨大な数の言葉の構造化がなされてきた。

言葉は、空間の存在や事象を命名しただけでなく、
時間の流れについても識別し、過去、現在、未来と命名した。
そして、未来に死に死にゆく存在である事実に気づき、
それが不安や悩みを持つようになる。
これが実存の不安である。
この不安が人間の不幸を生み出す原因になる。
仏教でいうところの煩悩であり、聖書の中でいう、
アダムとイブが禁断の実を食べてしまったことになる。

毎日ミニ物語を創っていると、言葉の構造化の作業がいかに大事かよく解る。
またテーマの選定が難しい。それさえできれば、あとは言葉の構造化の作業になる。
人間は、人生をかけて自分の物語を創りあげていく。
自分の夢、そして目標を追い求めるプロセスを通して物語の創作をする。

夢と志ー意志・意思こそ、人間の根本であり、
言葉の構造化のテーマに、例えることができる。
思いは、言葉の構造とイメージからできている。

・・・・・・・・
2004年08月16日(月)
1231, エピクロスー哲学についてー29

エピクロスといえば、快楽主義者として「エピクロスの園」の酒池肉林が思い浮かぶ。
次に印象に残っているのは、「人間にとって死は存在しない、死んだと同時に存在が
無くなるのだから,本人にとっての死は存在しない」という言葉である。

ー父が死期を悟り、その恐怖に恐れおののいている時に、この言葉を教えた。
父は、「死の意味が初めて解った!」と言ったことを思い出す。
言葉の力を思い知った出来事であった。

エピクロスは、人生は良く生きることである、その為には良く考えるべきだと説いた。
快楽を幸福な生の始め(アルファ)にして、終わり(テロス)であると断言した。
しかし、一般的に誤解されている、官能の享楽ではない。 いや逆に、
肉体的な欲望を否定した魂の平安こそが、エピクロスのいう「快楽」なのだ。
官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。
真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。
すなわち、官能の享楽「自足」である。みずから足れりとすることだ。
つまり際限ない欲望から開放されることである。
豪華な食事や家に住んで、心がかき乱されているより、

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08月16日(木)
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