ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2267, 「遊び」
その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて始めた
“遊び”といわれる。
そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽(もうきん)類に
襲われた場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、
それを遊びにすることが、高度な知的行為である。
ーー イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に
遊びが入っているところが、注目に値する。 d=(^_^)=b
競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜!
何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、
ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、
ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。
Bye♪ ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
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2006年06月18日(日)
1902, 感動と感激について
才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
感動・感激・感謝は、
人生の豊かさという面で大きなキーワードである。
感謝は「ありがとう」というキーワードで多く書いてきたので、
今回は感動と感激について焦点をあててみる。
まず「感激と感動の違い」についてである。
感激は人の言葉や物事に心が感応することで、
感動は大自然や音楽などに魂が感応することである。
感激は、その気持ちが対象に向かうのに対して、
感動は自分の内側深くに向かう。
どちらも、対象の波動に自分の心・魂が共鳴することである。
期待 <実感 → 感動・感激
期待と実感のギャップが大きいほど感動、感激、感謝が大きい感情になる。
その為には期待を小さくして、実感を大きくして、
そのギャップを大きくすれば、感動を大きくすることが出来る。
反対に期待が大きすぎた時に感動は小さくなる。
秘境・異郷旅行は、正しく感動を求めるもの。
厳しいところほど感動が大きい対象に出会える。
そこへ到達するまでの苦労が大きいほど、感動が大きくなる。
そこでは魂の根底を大きく揺さぶるものがある。
この感動と出会うまでの人生と、その後の人生と、
分ける位のインパクトになる。
そこに慣れてくると感動は小さくなるが、それで良い。
それは自分が対象に同化したことになるからだ。
冷静に対象を見つめることが出来るようになる。
感動・感激・感謝の経験の質量が、心の豊かさといえる。
人生を振り返った時に、
自分の心に残っているのは感動と感激と感謝、
そして後悔の念である。
一般的に感動・感激は年齢を重ねると同時に少なくなっていく。
ある調査によると、毎月一度以上感激・感動する人は
10〜20歳代で50lだが、30~40歳代になると30lに減るという。
私の場合、歳を重ねるに従って、感動・感激の場面が増加している。
感動はその蓄積が、その質・量に比例して心の壁を低くし、
さらに感動に対する磁力を強くする。
親の責任の一つとして子供に「感動・感激のシャワーを多く浴びさせること」
がある。 それは自分自身に対してもである。
ある質・量を超えると、その人間の質のアップ・スケールが生じる。
一番の効果は、内面に自信が出てくることである。
それと自由の意味も解ってくる世間とかいう奴にも迷わされないようになる。
感動は意識して自分に与えなくてはならない滋養である。
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06月18日(月)
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