ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2200, 反時代的毒虫 −1
 私は、本来『もの』というのは、『横』と『縦』からできていると思うのです。
車谷「『横』と『縦』・・・・」

江藤「『横』と『縦』というと輪郭が定まるみたいですが、得体の知れない
 ボワ~ッとした物をよく見ていると、そこには『横』の筋がスッと一つ入っていて、
『縦』にも何か立ちのぼるものがある。立ちのぼるものとたなびくのと合わさって
『もの』になると思うんです。
車谷「はあ。」

江藤「戦後の日本人は、たなびくほうに、たなびくほうへ行くわけですよ。
 東京から太平洋をたなびいていくとニューヨークへ着く。
 そして、そこで商売をする。車谷さんとは逆の意味で、自分ではない他者になる。
 これもまた『横』にいくことでしょう。『横』にいくことによって、
 自分ではない他者になることができるのは、選ばれた人たちなんです。
 車谷さんは、会社を辞めて他者である自分になる前に、会社から、
 それとはまた別の他者である自分になる方式を提示されて、断ってしまった。
 その断った事が大事で、では断ったらどうなるかというと、
 『縦』に行くほかないわけです。
 
P-41
江藤「結局、『失楽園」も「横」にたなびいている小説なんです。
 男女の関係が『縦』だと分っていない。医者というものは分らないんじゃないかな。
 もちろん医者は尊敬しますが、医者の文学には基本的なものに欠落がある。
車谷「森鴎外もですか。」

江藤「ええ。まず、あの冷たさですね。漱石には、あの冷たさがない。
 渇望があり、祈りがあり、そして、七転八倒がある。
 (中略)
車谷「医者には物狂いがない。

江藤「そう。『もの』ではなくて『こと』なんです。医者にとっては『死』は
 『死』だけでなく『死体」なんです。すでに輪郭がハッキリしている。
 昔、ある文学賞の選考会で、小林秀雄さんの『これは医者の小説だ』の一言で、
 『楡家の人びと』が落選したことがありました。・・・やはり、文学には、
 輪郭のハッキリしない『もの』の要素を求めたい」

ーーー
私の親戚にも何人か数奇な人生を生きてきた人がいる。
差し支えがあるので書けないが、書いたら面白い小説になる!
どの世界にも「事実は小説より奇なり」の話は転がっている。
             
            (℃゛)/ また、明日!
ーーーーーーー
2006年04月12日(水)
1835, 善意について
      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/

善意については、色いろ考えさせれることが多い。
最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。
善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、一つとっても互いの善悪は全く違う。

   善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。
   環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。
   現在の自民党の族議員、ゼネコン、官僚の構造的汚職など典型的なものである。

善意は、善意でよいが! 善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。
日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。
「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、
「連帯保証に、善意で判を押してしまった」という話だ。
その善意が狙われるのだ。

   善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、
   何らかのペルソナ(仮面)の一部ぐらいに割り切っていたほうがよい。
   ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。
   善意と優しさは、似て異なるものである。
   善意という動機にクールの視線を持て、ということだ。
  (ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。)
   
 ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。
これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、すこしづれるが・・。


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04月12日(木)
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