ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2084, 森の生活
それは君が最も富んでいるとき、最も貧弱に見える。
あら捜し屋は天国でもあら捜しをするだろう。貧しくとも、君の生活を愛したまえ。
賢人らしく、菜園の野菜のように君の貧しさを耕せ。
衣服でも友人でも新しきものを手に入れようと焦るな。
古いものに目をむけ、古いものに戻るがいい。事物は変わらない。
我われが変わるのである。君の服を売り払い、君の思想をとっておきたまえ。」
(下巻276頁)
ーーー
ソローにとって、「自然」と向き合うということは、
「自己」を見つめることでもあり、人生の探究は、遠い幻想的なものでもなく、
「いま、ここ(現在)」の世界で「自己」を実現させることにある。
彼の「実在」は、現在の生活そのものの中にある。
森での生活は、彼の、それまでの日常生活の狭い限界を乗り越え出て、
「自己」を解放させ、楽しみながらの労働によって生計を立てる営みが、
心からの喜びに充たされる生き方であるかどうかの実験であった、と言えよう。
彼にとって「生きること」は、「哲学すること」である。
自分の、一度しかない人生を真剣に考え、その考えに自信を持って従い、
幻想から抜け出し、いかなる現実をも直視し、ありのままに生きることが、
彼自身の人生をより良く生きるあり方であり、森での生活を通して、
さらに確信を得た生き方の方法であった。
「ところで、インディアンが、この文章を見たら何と思うだろうか?
日本の地方に住んでいる人でもよい。
東洋には、老荘思想があるじゃないか。
二年余りのお遊び?でしかなかったともいえないかい。
しかし、これが理想なのだから、それでよい!
都会という束縛する反自然があればこそである。」
みる人、立場、視点で、同じことでも全く違ってくる。
しかし、そうわかっていても彼の言葉は時代を超えて、
心に突き刺さってくるのはどういうことだろうか?
次の言葉がよい!
−−
私は大部分の時を孤独で過ごすのが健全であるということを知っている。
最良の人とでもいっしょにいるとやがてうんざりしてくる。
私はひとりでいるのが好きだ。私は孤独ほど気の合う道ずれを持ったことがない。
たいていは部屋にいるときよりも外の人々の間にいるときのほうが孤独である。
考えごとをしている人間、仕事をしている人間は、どこにいようが孤独である。
一度、畑で草取りをしているとき、ちょっとの間、私の肩に雀がとまったことがある。
私はそのことによって私のおびることのできるどの勲章・肩書きよりも素晴らしい
名誉を与えられたような気がした。リストはすっかり馴染みになり、時おり、
それが一番近道のときは私の靴の上を踏んで歩いていった。
ーー
この本は一読も二読もする必要がある、
特に都会の人間関係で疲れている人ほど!
それぞれが自分の行き方をみつけ、
自分自身になることこそ必要であると、
彼が魂を込めて伝えたかったことである。
人まねでなく、自分自身と対話することが、
自然の教えであるということを!!
(*^○^*)ホンジャ、マタ!
ーーーー
2005年12月17日(土)
1719, 熟年離婚
おはよう!v(=∩_∩=)v
TVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映していた。
そのうちの二〜三回しか観ていないが、考えさせられる問題であった。
作家が悪いのか脚本が悪いのか、離婚理由が希薄で現実離れしていた感があった。
男の立場からみると、渡哲也役の亭主が気の毒すぎるように思えた。
停年の日に家族の前で突然離婚を申し立てるのはドラマとはいえ不自然である。
しかし、最終回(12月8日放送)の視聴率が21・%と、
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12月17日(日)
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