ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2045, あたりまえなことばかり −2
 そうすると生きる姿勢が変わり、構えが変わってくる。
 決して、考えることは無用の用ではない」という論は説得力がある。

    「よく考えることは、よく生きることと同じである」のは、
     よく考えるということは、人生の構えー姿勢が変わってくるということになる。
     先日、ネアンデルタール人と、クロマニョン人の混血人の骨が発見されたという
     ニュースの中に、なぜクロマニョン人が取って代わったかのか?という疑問に、
     言葉系ー考えが上だったという研究結果だった、とあった。

                      \(^▽^*)バイ!
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 2005年11月08日(火)
1680, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−4


ー「メタモルフォーゼ」ー A
   <意識の変容>

一万年続いていた農耕社会の重心が、
工業化社会から情報化社会に移動しようとしている現在、
狩猟社会の本能が再び目覚めようとしている?のか。
北極圏のインディアンに残っている狩猟社会の個人主義は、
農業社会が作りあげた差別社会を否定する。
メタモルフォーゼは、情報化社会になればなるほど
問われることになるだろう。

以下は「メタモルフォーゼ」ー<意識の変容>
の中の文章の抜粋である。
ーーー

直立歩行を始めてサル類から分岐した人類の先祖たちは、
死肉あさりという屈辱的な低い生態的地位を経た後、
大よそ20万年前から狩猟生活を始め、平等な個人同士の対等な
関係を基本とする小グループを形づくってきた。

カナダ北西部の北極圏地域に住むインディアン狩猟民について、
文化人類学者の原ひろ子は
「老若男女それぞれが、自分が主だと思っている。
命令口調でものを言う人間や、忠告めいたことを言う人間を極度に嫌い、馬鹿にする。
酋長といった部族全体を統率するリーダーはいない」と報告している。
彼女は「ヘアー・インディアンとその世界」という著で、さらに
狩猟民族の`個人主義’について示唆を多くしている。
特に興味をおぼえたのは、彼らの生活が
「働く」「遊ぶ」「休む」の三つにわけられ、
そのうち「休む」が最も重要と考えられている、ということだ。

「休む」とは無為に寝転がっているということではなく、
各人がそれぞれの自分だけの守護霊(部族と家族とも共通でない)と
相対する時間のことである。
他人との関係からはなれて、ひとり静かに自分自身と、つまり自分の無意識と
対話するのだが、守護霊は雪の山野の親しい生物から選ばれるのだから、
それは自然の声でもあろう。

そんな平等な個人を基本とする生き方が、農耕時代に入って、
身分制社会の不平等生活へと一変したことは事実だ。
まるで高等サル類の不平等な群社会に戻ったかのように、ひたすら優位者の
機嫌を窺い、身辺の人間関係に意識の大半を費やし、
一族の、村の、国の共同の神をそろって拝む。
だが農耕社会はわずか数千年来のこと。
それに比べてわれわれは本格的な狩猟民として、最も短く見積もっても
5万年もの経験を持っている。

20世紀の後半になって、農業人口が激減して、巨大な村に過ぎなかった
木造的都会が、鉱物的な現代都市に変貌するにつけて、狩猟民時代の記憶が
意識の底から徐々に蘇り始めてきているように思えてならない。

ーー
以上であるが、現在の時代に大きなヒントが隠されている。
エスキモーの生活が「働く」「遊ぶ」「休む」の三つに分けられ、
その中で「休む」が最も重要に考えられているというのは、大きな示唆がある。
ゴロゴロ寝ているのではなく、各人がそれぞれの自分だけの守護霊
(部族と家族とも共通でない)と相対する時間というのがよい。
意識の変容は、本来の自分に戻る状態といえる。

自分の守護霊と対じして、深く自らを見つめることで魂そのものと出会う。


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2004年11月08日(月)
1315, ビーズ・クッション


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