ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■2022, 「ちょい悪」の一考察
素晴らしい絵画を多く見ることができた。
実物を見ないかぎり、その絵画の背後にある意味を知ろうするには
余程のキッカケがない限りできないものだ。

「知識を持って絵をみること」
これを知ったのは、15年前にスペイン・マドリッドにあるプラド美術館で、
日本人のガイドの説明を聞きながら絵を見た時である。
絵の中には、さまざまなドラマが詰まっている。
その画家の技法、思い込み、性格を知ることで、絵が全く違ってみえる。

ピカソの「ゲルニカ」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」、
そしてゴヤの「裸のマハ」「カルロス4世の家族」スペイン独立戦争を描いた
「1808年5月3日」など、絵の中にある多くの背景と、隠されているドラマを聴きながら、
初めて知識を持って絵を見ることの醍醐味を経験した。

名画は、画家たちの精神や思索の凝縮したものである。
それが絵画というカタチで、私たちの前に提示されている。
いかなる技法で描かれたか、あるいは画家が作品に込めた思いや、その人となりを知ることで、
はじめて鮮明に私たちの目の前に立ち現れてくる。
それまでは、絵の力や精気から感動を得るだけであったが、この日以来、
絵の見方が全く変わってしまった。

その意味で、この本は初心者にとって理想的な本である。

この歳になって、やっと知りえることがあまりにも多い。
年齢を重ねることは、前を向いているかぎり
堰が切れたように好奇心が旺盛になる。
自分を鳥瞰できるようになるからだ。

ー目次

1 誰の何という絵か言えないと恥ずかしい名画
2 見る者を神話・宗教の世界へいざなう名画
3 美術史のターニング・ポイントとなった名画
4 歴史と人間の営みをいきいきと表現した名画
5 画家の心象風景がリアルに伝わってくる名画
6 独創的な色づかいとフォルムに圧倒される名画

著者名:佐藤 晃子
出版社 :河出書房新社
出版年 :2005.07

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2004年10月16日(土)
1292, 随想について

 随想日記を書き続けていると色いろな事に気が付く。
 結局は、随想とは自分自身のこと、それも自分でしか書けないことを
 表現する、自分の物語である。
 
 もともと日記と随想は違うもの。
 日記の対象は自分であり、日常の出来事や気持ちを書き残すものであり、
 随想は第三者を想定して、それに合わせて書き下ろすものである。
 その二つを重ねた随想日記とは、矛盾している。
 実際は「毎日書く随想、あれこれ」という意味である。
 いや、日記にテーマをつけて書いていたのが、随想的になっただけである。
 
 日記としては、この随想日記に書いてある「22歳の日記」が、理想に近い。
 時系列に、その日の出来事と気持ちを正直に書いている。
 当時はただ、自分をコントローズをする為に本能的に書いていた。
 友人と議論した内容や、ちょっとした社会現象に対する意見や、
 読んだ小説や本の感想が書いて置けばよかった。
 当時、何故書いたか、その動機を憶えていない。
 
 それに対して随想は、第三者に向かって自分を表現する物語である。
 読んでいるほうは、実際こんなに面白いものはないだろう。
 ふつう経験できない個人の心の奥底に入り込めるからだ。
 
 文章は飾り立てても、その飾り立てている姿が出てしまう。
 正直に書くしかないし、そうでなければつづかない。
 飾り立てても今更というのが、書き手の立場である。
 
 毎日テーマをたてて脳の奥底を書くかというと、
 「未来の自分という読者と、まだこの世に存在しない子孫をも意識している」
 からである。そう思って書いていると、魂が入る。
 「今ここで」が、そのまま入魂になるからである。
 
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2003年10月16日(木)
925、「おん宿かわせみ」

 ホテルのフロントにたっていると、色いろな人生垣間見みれるという
一宿一飯のサービスと部屋貸しの商売である。

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10月16日(月)
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