ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1983, 閑話小題
この「欲求」と、「意識」が私と私の人生を動かしている。
 意識は動かない 「静」で、
 欲求は動きまわる「動」である。

楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。
そのためには、いつも「動」と「静」の二つが私たちを動かしているのを
忘れないように。
いつも変わらない「静」があるからこそ、
        「動」を楽しむことができる。
「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を楽しませてくれる。
楽しく生きる。
今、人生を楽しむ。
純粋の遊びこそが、遊びの真髄である。


ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる
欲求とその成就は、本来、単純である。
このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が身につけている
「思い込み」である。
この「思い込み」が、本来の欲求不満を自分から隠してしまうのである。
「思い込み」という間違った解釈を自分で与えることで、私たちは自分の
欲求不満をそらす。
この自分の思い込みを解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。
思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、
私たち自身の「自己像」についての思い込みであるからだ。
この思い込み、特にネガティブなイメージの取り除いて
本来の自分に出会うことが、「もう1人の自分に出会う」ことである。
あったはずなのに気づかなかった素直な自分の欲求に気がつく。
素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったことに気がつく。

人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。

ーー
以上が、この本の概要である。

<自由とは、その周囲から植えつけられた「思い込み」からの解放である>
秘境ツアーに来ている人の中に多いタイプに、
思い込みに気がつき、真の「自分探し」の人を多く見かける。

そのタイプを要約すると、
ー親と世間の常識を信じて何も疑うことなく、何時の間にか歳をとってしまった。
ふと気がつくと、あと数年しか時間的に自分の残された人生しかない。
このままでは、死ぬに死に切れない。
そのために捨て身で世界の果てに来て、自分の心の渇望を埋めようとしている。
もう少し早く気がつけばよかった。余白はあまりにも短い!
等々である。
「楽しく生きる」も、深い心の底からの欲求の充足でこそ意味がある。
その辺のカラオケで騒ぐ、軽いものをいっているのではない。
 魂が入っていれば、それでもよいか?

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年09月07日(火)
1253, 死について再び考える

過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて
死について考えてみる。

毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと仮定して、
深い長い夢をみながら死んだとしたら、その夢と現実とは
さほど変わりはしないのではないか。

死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、灰に帰す。
骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。

人生とは何なのだろうか?ー意味
その行蔵の中味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー達成
何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか?
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か?
精一杯生きたのだろうか?

答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に
多く隠されている。

ー生死の格言ー

・死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。
                  byレーントン・ワイルダー
・墓場は、一番安上がりの宿屋である。
                  byラングストン・ヒューズ
・僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ
                  byマルロー
・虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。保険に入っていれば金を残す。
                  by吉行淳之介
・あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、

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09月07日(木)
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