ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1982, ある首斬り役人の日記 −3
この過程のどこに「私」はいるのか考えてみよう、と提起している。

望みが叶わないといって
絶望や諦めを恐れる必要はない。
人の心は絶望や諦めを超えることで、
孤独の中の本当の自分と出合い、
自分が何を望んでいたのか、
欲求の全体構造を明らかにする。
そして、その先にある新たな希望へと導く。

挫折から、諦め、そして孤独の底から、新しい自分に出合い、
新たな希望を創っていく中から、真の楽しみ方を見出していくのである。

何を考えても埒があかない。どう望んでも解決が見えない。
そんなときには、一度すべての欲求から離れるしかない。
自分の心、身体、他人や環境のあらゆるものから離れて、濁流や、澱みや
流れの全体を見渡せる場所に自分を置く。そこで自分を作り直す。
そこで、もう一人の自分に自分に出会う。

我われがあらゆる欲求から離れることができるとすれば、
それは時間が止まったときだけだ。
時間は二つの場合に止まる。
絶望の中と、
満足の中で。

欲と向き合う、そして自分を満たして、自分から離れる
<諦めて得た楽しみ>
 追いつめられて見つけたもの、
 孤独と正面から向き合って心の安らぎを得ることである。
 それは、世間的な色・金・名誉を断念することで初めて可能になった
 心の安らぎである。その引き換えに諦めを得たのである。
 
 諦めは怒りへの固執を解く。諦めは生まれてから長く慣れ親しんできた
 自分の外界の世界への固執も解く。
 もう、表象の欲に振り回されることもなく、静かに居られる場所を持ったのである。
 人の精神が新しい世界に飛躍する時は、静粛に一度立ち戻らなくてはならない。
 静粛の中で起こることは、古い欲求構造の破壊と新しい欲求の誕生である。
 

ー 雅ー欲を楽しむという意味
 
 「雅であることは、この世の花を楽しむ心だからだ・・・」
 弓で的に矢を当てることと同時に、雅であることを大切にしなくてはならない、
 雅ということは、弓の握り方、矢の支え方、弦の引き方、的への向かい方の、
 的を射ぬくまでの一つひとつの過程を楽しむことだと、教えるのである。
  矢を当たることだけを追っている人は、余裕を失って、一つを達成すれば次が
 欲しくなり、何時までたっても満足しないから、「この世の花」を楽しめない。
 この世を楽しむには、まず留まることが必要だ。
 矢を射ること自体を楽しめる人が「雅」である。
 「雅」とは、欲を楽しむこと、諦めを通過することによって可能になる。
 しかし、欲を楽しんでいる過程は、やはり、それを実現したいと思っている時である。
 諦めとは、欲を捨てることではない。ただ、欲に対する自分の態度を変え、
 「この世の花」を楽しむことことだ。
 優雅さとは、奥ゆかしく、上品で、華やかなこと、それは欲に素直でありながら、
 それに囚われないで実現できる生き方である。 
             
                     ーつづく
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2004年09月06日(月)
1252, オーストリア旅行記ー3

ーシェーンブルン宮殿

シェーンブルンの意味は「美しい泉」である。
その名を持つこの宮殿は、
女帝マリア・テレージアをはじめ、その娘マリ-・アントワネット、
皇帝フランツ・ヨーゼッフ1世、皇女エリザベートなど、
パプスブル家の人に愛され、光栄ある時代を今にとどめている。
そのきらびやかな部屋からは、華麗なる彼らの生活が蘇って見えてくる。

その幾つかを書いてみると、
・ナポレオンの部屋
 1805年、1809年の二度、ナポレオンがウィーンを占領した際に
 居室として使用していた部屋である。18世紀の軍隊生活を描いたブリュッセルの
 写実的なタベストリーが部屋を飾ってあった。
・マリー・アントワネットの部屋
 マリア・テレイジアの娘であるアントワネットが、フランスに輿入れをするまで

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09月06日(水)
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