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堀井On-Line
by horii86
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■1969.事業百訓・・・F
本業以外に本当の利益を出す事があり得ないし、出せたとしても、
その数倍のロスが発生している。
その時はそれは見えない。あとでふり返った時に初めて気づく。
当社の本当の御客様は誰なのか!そしてそのお客様に対して何ができるか!
それに対して、総てのエネルギーを集中し続ける事こそ核本業ではありまいか!
“客室のモア・スペシャル、モア・ディスカウント”
の提供が核本業であったはずだ!
それを続けた時に会社の成長があった。
他に目を向けた時、停滞がはじまった。
その責任は誰にある。私だ!
H0503
万歩計
“万歩計”をつけてから約一年が経過する。
冬期八千歩・それ以外が一万三千歩・平均して歩いた。
一年で四百二十万歩、一歩五十センチとして、二千km歩いた事になる。
江戸時代の人は平均二万歩近く歩いたという。
ある調査によると会社の営業系の人は七千歩!事務系六千歩!
管理職が五千歩!トップは四千歩が平均歩数との事。
また人間の身体の構造は本来、歩くようにできているそうです。
私の場合必ず手帳に歩数をメモにとり一週と一ケ月の平均歩数を出します。
これを実施していて雨の日の休日でも傘をさしてでも散歩に出るか、
天気予報を見ながら“歩き溜め”をしたりする様になりました。
私の知人も数名万歩計をつける様になりました。
今では、万歩計をつけ忘れても大体、歩数はわかるようになりました。
参考の為に、万歩計は薬局かドラッグストアに二千円位で売っています。
H0503
“死”について
・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で五軒も葬式があった。
六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。
私の年令の風景の一つなのか?
・ 人間の死亡率は百%!
・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?
・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント
・ “我々が生きている間は死はこない。
死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”(エビクロス)
・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)
・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。
・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!
・ “いろいろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!
はじめから無かったと同じじゃないか!皆の衆”(山田風太郎)
・ “ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!
・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)
・ 死はお浄土への単身赴任である
……極楽世界があるかないかではないのです。
あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)
・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。
・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”
これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。
・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。
自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。
・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と
“自分の愛する者達への配慮”にわけられる。
死は根本的には“無”である。
“無”にはいかなる準備のしようがない。
“無”になる事に覚悟せよと言ったって、いかなる覚悟も“無”であり、
“無”になる。
死はどうであれ“無の世界”=“無”も自覚も存在のない世界へ
運び去るのだ。
・ “父母によばれてこの世に遊びに来て、用が済んだら、はいさようなら”
(一休和尚)
・ “自分の死”に対して、どれ位時間をかけたか?
やっぱりかかった時間と比例します。
だから死について考え続けるより他にありません。
自分の心を明確にする事。それをやっていると毎日が濃縮されて、
いつ死んでもいいと思う程、充実してきます!(曽野綾子)
・ 死は暗闇ではなく光明と考えられるかどうか、
もどって来た人はいないのだから。
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08月24日(木)
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