ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1933, 霊界からの訪問者-2
隔離された療養所の中で延々と議論がつづくのだ。
過去の人生を振り返ってみると、
暇で退屈な時ほど一番効果的な何かをしていた。
何かをやろうとする時は、意図的に空白時間を置く。
ABC分析のAのことだけに直面できるが、多くの手持ち時間を持て余す。
それが、良いのだ。
般若心境の[[空即是色]である。
その退屈な時間に多くのことを考えることができる。
忙しくて仕方がないときは、ロボット的仕事ばかりをしていた。
暇な時間、いや退屈な時間という現象をもっと深く考えてもよいだろう。
携帯電話は考えてみたら、暇や退屈な時間を無くしてしまったのかもしれない。
「小人閑居して不善をなす」という言葉もあるように、
退屈な時間に何をするかである。
退屈とは意味の欠如からくることが多い。
何もすることに意味を見出せない状態が退屈の状態であろうか。
フランクルの「意味への意志」の欠如ということである。
反面、そんなことに全く関係ない、
退屈の気晴らしの人生もよいのかもしれない。
いや実際、それが人生だろう。
所詮人生は何の意味の無いことの上で成り立っているのか?
もし、そうだとしても、それで良いのではないか?
子育てに、家事に忙殺されている主婦に退屈はないだろう。
また女性にとって子育ては最も意味あることである。
子育ても終わり、家事もマンネリになった時に退屈がでてくる。
そこで、次に意味を探すことになる。
それを見出せないと、退屈が覆いかぶさってくる。
そして欝になる。
欝はだいたい10lの人がかかるという。
欝体質の人はもっと多いだろう。
まあ退屈紛れに、退屈について書いたが
意味は深い。
「退屈の小さな哲学」という本を、図書館で借りてきた。
まだ読んでないが、この本の中に多くのヒントがありそうだ。
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2004年07月19日(月)
1203,実存哲学(2)
ー哲学についてー18
ーマルクス−1
実存哲学が「主体」(自己)をテーマにしたのに対して、
マルクスが「存在の哲学」を主張した。
包括的な主体の哲学である。
マルクスの哲学上の最大の発見は、資本主義生産システム分析を通して、
・この社会は合理的に統御不能な存在である、
・人間の「主観」から独自な「主体」(意志)を持つことを見出したことである。
「資本主義社会を根本的に動かしている力は、
生命力を無制限発動している無意識(自然)である」ということを
明らかにした。
マルクス主義がみごとな思想体系をそなえている理由は、
ドイツ哲学、フランス政治理念、イギリスの経済学という三つの知的伝統を
融合させたものであったからだ。
したがって、マスクス主義は哲学には分類できない。
マルクス主義は、そのほとんどがヘーゲルから受け継いだものでしかない。
ある本に、ヘーゲル哲学とマルクス主義の共通する考え方を10に要約していた。
非常に解りやすくまとめてあったので書き出してみた。
1、現実はものごとの状態ではなく、つねに進行中の歴史的プロセスである
2、現実を理解するには、歴史的変化とは何かを理解する必要がある
3、歴史的変化は、無作為におきるのでなく、発見可能な法則にのっとっている
4、この発見可能な変化の法則は弁証法的であり、
テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼという三段階のうんどうをくるかえしている
5、この法則を繰りかえす原動力は疎外といわれ、その疎外によって、どのような
状態になっても内部に矛盾を生じ、それは終わりを迎える
6、このプロセスは人間にはコントロールできず、それ自体が内部にもつ法則によって
前進させられる
7、このプロセスは、内部にある矛盾が解決されるまで反復され、矛盾が解決されると
疎外も解決される。変化をうながす原動力もなくなる
8、このような対立のない状態に達すると、人間は自分で制御できない力によって
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07月19日(水)
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