ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1927, 閑話小題
彼も私にしごかれて8ヶ月、やっと戦力になってきた。
朝の7時に岐阜駅に着く。
駅ビルの地下の喫茶店で、モーニングサービスを食べて時間を過ごす。
そして、9時過ぎから問屋街を駆け回る。
仕入れのコツも9ヶ月も経てば解ってくる。
とにかく多くの問屋を回って情報を仕入れることだ。
それと大手の問屋とメーカーも大きな情報源である。
小野、岡庭嬢が今朝長岡を出発、東京から名古屋の問屋をまわって
夕方にホテルのロビーでいきあった。
チェックインを一度して、何時もの「千成寿司」に行く。
彼女達も意欲的に仕事をする。
千成寿司は高校の時に、父の仕入れ見学の鞄持ちで来て、食事をした店である。
12~3坪の店に職人だけで5人もいて、いつも行列待ちをしている超繁盛店だ。
とにかくネタが大きくて新鮮で安い。
普通の店の三倍のネタの大きさである。
こういう出張は、夜の食事とチョイ一杯をしながら
仕入れの戦果の話が楽しみである。
店の仕事の終了後、夜行列車に揺られたあと、朝からの駆け足の仕入先まわりは、
激務といえば激務である。
しかし、仕入れは買い手の立場であるから、面白いといえば面白い。
仕入れた商品が売れるか売れないかは博打的要素がある。
当たるか外れるかは半々といってよい。それが面白いのだ。
今夏は、ジョーゼットの素材の花柄の婦人服が爆発的に売れている。
しかし、どこを探しても売り切れて商品がない。
ところが、諦めかけた直後にやっと一軒見つけだした。
その小さな店の商品一軒分全て買い上げた。
これで、今回の仕入れの大きな収穫が完了。
こういう日の酒は特に美味い。
明日は、岐阜を終日仕入れをした後に、大阪と名古屋の問屋の予定である。
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2004年07月13日(火)
1197, ユングの臨死体験
臨死体験といえば、立花隆が「文芸春秋」で特集で連載をしたことがあった。
死にかけたときに生じる脳内の異常状態から見る夢か幻想と思うのだが。
ユングの書の中の「臨死体験」を読んでいるうちに、何か今までの世界観が
変わってしまった。
ユングが書いた時は、まだ宇宙衛星が地球外に出てない。
しかし、ユングが臨死体験で見てしまった宇宙からの景色と,宇宙船から飛行士が
見た景色が全く一緒だったという。
何とも不思議な気持になってしまった。
ーその部分を抜粋してみる
−−−
1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。
意識喪失のなかで譫妄状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど
危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。
幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で
思いこんでいた。
後日、付き添っていた看護婦は、
『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、
彼女のつけ加えた言葉によると、そういった現象は死んで行く人たちに
何度かみかけたことだという。私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、
忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。
とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。
私は宇宙の高みに登っていると思っていた。
はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と
諸大陸がみえていた。
脚下はるかか なたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。
私の視野のなかに地球 全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、
その輪郭は素晴らしい青光に 照らしだされて、銀色の光に輝いていた。
地球の大部分は着色されており、ところど ころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。
(中略)
どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。
それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さである。
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07月13日(木)
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