ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[397607hit]

■1850, 2008年、日本は大きなクラッシュに? −1
・「誠」とは、裏切りを知りながらそれを乗りこえて生きることである。

・「美」とは、美を感じる心が無くては。
 美を感じる心とは、対象のバランスを自分の中のバランスとして受け入れる
 感受性である。それは、真善においても同じだろう。

・「克己」とは、自分の壁を乗り越えること。
 人に勝つ前に、自分に勝たなくては!

・「価値」について、それぞれの社会の固定化された欲求?
 それとも目標?
 外部に価値を見出すべきではない。
 そうなった時は自分に迷いのあるときである。

・「力」とは何か、人間がただ頼れる一つのエネルギー?
 
 今の自分は自分自身を信じて自分の足で立つことだ!
 見えない未来に向かって。
 
 おやすみ!

 ー2005年4月27日5時半ー記
 
 よくぞまあ、35年前にこんな難しい?ことを書いたものだ。
 難しいことというより、自分の頭の中の言葉を引っ張り出して、
 曝しているのが有効である。
 深くは考えないで、その時に気ままに日記に書いたものだが、言葉の重要性に
 気づいたのだろう。
 
 この一年で、情報と言葉の「切断」の重要性にも気づいた。
 カレーライスをつくるのにそれぞれ素材を目的に合わせて切断する。
 情報や言葉も同じであることに。
 この一年ほど、自分の一生にとって有意義な年はなかった。
 一見、無駄に見えたが基礎の再構築だったようだ。
 
 常に社会と一線を引くスタンスが、この一年で身に付いた。
 姉夫婦が、小さな城下町の価値観の世界を全世界と信じて疑ってない姿を
 身近で観察できたこともある。
 内海にいる魚は海そのものがどういうものか知ることがない。
 陸に上がって海そのものを見ることができない。
 まして、自分が内海にいることも知らない。
 人間全てにいえることだが。
 
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 
 2004年04月27日(火)
1120, 「ライフ・レッスン」ー7

ー時間のレッスンー

・時間のなかで、すべてのものは変化する。内面も変わり、外面も変わる。
外観も、内的自己も変化している。人生はたえず変化をつづけているが、
ふつう、変化を好まない。それに抵抗しようとする。
そうこうしているうちに、周囲の世界のほうが変わってしまう。
変化の速度は、かならずしもわたしたちの内的速度と一致しているわけではない。
たいがいは早すぎるか遅すぎるか、である。
変化とは慣れ親しんだ状況に別れをつげて、不慣れな状況に直面することである。
あたらしい状況そのものでなく、そこにいたる間の時間に不安を感じることもある。
「一つのドアが閉まっても、別のドアが必ず開いている。・・・
でも、それぞれドアにつうじる廊下にいるときが、いちばんつらい」
変化はたいがい、ドアがバタンと閉まってしまった場合始まる。
先が見えなくなり、人は不安な時間を過ごす。
この時期はつらいものだ。もうだめだと思った時、何か新しいことが始まり、
ドアが開く。変化に抵抗しようという人間は、自分の人生そのものに抵抗して
いることになる。必要なことは変化に乗じること、少なくとも、
変化を受け入れることである。


・「西洋文化においては、歳をとることは尊重すべきことではなく、
しわは人生の勲章ではなく、隠すべきもの、避けるべきもの、除去すべきものだと
みなされている。ところが、青春時代の活力を懐かしみながらも、殆どの人は
まったく同じ人生をやり直したいとは思わない。
若き日の狼狽や混乱を、ありありと憶えているからだ。

中年になると人生のなんたることかも多少は解り、ばかげたことをしている
時間もなくなる。
中年期になると、いたずらに青春時代に戻りたいとはおもわなくなる。
若さの時期は、無垢の時期であると同時に無知の時期である。
青春の夢が中年の後悔に変わるのが、人生が終わったからでなく、
その夢のとおりに生きれなかったからである。

優雅の歳を重ねるということは、毎年、毎日をじゅうぶんに経験しつくす

[5]続きを読む

04月27日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る