ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■1823, 日暮里界隈 −3
以上の言葉から見ても、その言葉の奥行きの深さを充分に知ることができる。
以前読んだ本の概要を紹介してみよう。
ーーーー
「花のある遠景」
西江雅之著 (旺文社文庫)
副題は「東アフリカの裏町から」である。
アフリカであっても、普段多くの人間は街に住んでいる。
働いてもいるし、食事もするし、酒も飲むが、しかしほぼ働いていない。
この旅行記で出てくる女たちは娼婦である。
彼女らは著者にとっては、性の相手対象ではなく、
キクユ語の先生であり友達である
(著者は、言語学者で文化人類学の研究をしている)。
彼女らは娼婦だからといって、娼婦的な陰鬱さが全く無い。
さわやかさまで感ぜられるほど、さばさばいている。
この本の内容は日本では考えられないことがほとんどだ。
彼らにとって、それがなんでもない日常でしかないのだ。
旅行をしているというと、じゃあ俺も一緒にいこうという。
荷物持ちでも何でもいいから雇ってくれ、と。
西江は中古車を買って、運転手を雇って旅行しようと思い立つ。
雇った運転手に車を修理してもらい、出発する段になって雇った運転手の男が、
じゃあ荷物をとってくるから待てという。
もってきたのは帽子とズボンだけ。
しかもそのズボンを、この部屋で帰るまで預かってくれという。
バッグも金もなんにも無い。面白そうだからただその話に乗ろうというのだ。
そういう動機の方が自然で面白い。
本当に着の身着のまま。他に何が必要か。恐らく真剣には考えていない。
考えたところで仕方が無いのだ。
お前が行こうとしているところに俺の婚約者がいる。
久しぶりに会えるというので大変にはしゃいでいる。
ところが着いたとたん、そこで偶然知り合った女と仲良くなってどこか消えてしまう。
彼女と会うのはまた今度でいいや。
出発する時には何にも悪びれる様子もない。
ーーー
まあ、こんな感じでアフリカの原住民の生活が、そのまま正直にリアルに書いてある。
そのため読んでいて、引き込まれてしまうのだ。
読んでいると、現地にタイムスリップしたような気分になってしまうから不思議である。
その運転手と、突きつめた自分と何処が違うというのだろう。
何も違わないのだ。
ー著者の概略は検索で調べたら以下の通りであるー
西江雅之(にしえ・まさゆき)。
昭和12年、東京生まれ。言語学・文化人類学者。
主に東アフリカ、カリブ海域、インド洋諸島で言語と文化の研究に従事。
多数の言語を話し、土地の人々の生活に容易に溶け込む研究態度で
"ハダシの学者"との異名を持つ。
また、現代芸術とのかかわりも深く、美術、音楽活動 への参加も多い。
教育面では、過去30年の間に東京外国語大学、東京大学、東京芸術大学、
早稲田大学などで文化人類学または言語学の講義で教壇に立った。
第二回「アジア・アフリカ賞」受賞(1984)。
専門書の他に、エッセイ集『花のある遠景』、 『東京のラクダ』、『異郷をゆく』、
半生記『ヒトかサルかと問われても』、
対談 『ヒトの檻、サルの檻-文化人類学講義』などがある。
平成13年11月には、JTB旅行文化賞記念出版として『自選紀行集』が刊行される予定。
また、多くの高校・中学の国語教科書にエッセイが採用されている。
ーーーー
ー以前書いた著者の本の感想文である。
2003/11/14
954, 「意味」の意味を考える
言葉や言語を考える時、重要な事として、すぐに「意味」が出てくる。
「人生の意味」とか、「意味がないよ」とか、「このことにどういう意味があるか」
とか、言葉と意味は一体である。
考えるとは、言葉の羅列の繰り返しをしているといってよいが、
それは羅列によって意味を幾とおりも置き返していることである。
といって「意味」の意味を考えると何が何だか解らなくなってしまう。
「意味」の意味を考えるとは、半分ジョークみたいな話だ。
言語学者の西江雅之氏の本に、「意味は『価値』である」に注目をした。
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03月31日(金)
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