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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■零戦。
実をいうと、わたしは小学校の頃、日本の軍用機に凝っていたことがあった。
(「女のくせに」なんて言わないでね)

今、NHK教育で、「零戦の欠陥」についてのドキュメンタリー番組をやっていた。

で、気がついた。
っていうか、思い出した。
わたし、この「歴史上の事実」、知っている。
わたしが小学校の頃に読んだ本が、かなり専門的な内容で、だからほとんど意味はわからず飛行機の図面ばっかり眺めていたのだけれど、かろうじて読んだ特集記事のようなものに、全て書かれていたのだ。

しかし。
番組では、なんだか当時の海軍の思想や「日本の文化」に問題があった、みたいに結論づけられていたけれど、それは違うと思う。
あれからン十年を経て、ある時たまたま聞いた「放送大学」の「戦時経済」についての講義を聞いて、当時の海軍の反応は仕方がなかった、もっと言えば「当然の反応」だった、ということを学んだからだ。

日本は元々、重化学工業において必要とされる天然資源=石油や鉄鉱石が乏しい。
世界が帝国主義にしのぎをけずり、戦争を遂行するためには、それぞれの国は資源を確保しなければならない。
ところが、資源確保のまさにそのために、日本は(外交が下手くそだった、ということもあって)戦争によって資源のある領土の拡大を図るしかなかったのだ。
はっきり言って、寒さをしのぐために自宅の戸枠や壁紙を燃やすのと同じような真似をするしか、日本が帝国主義競争に参加する手はなかったのだ。

日本の海軍はそれがわかっていた。
だから、人命を守れるほど分厚い装甲や重たい重量を支えられるだけの大出力のエンジンを搭載することなど、その方がいいに決まっていてもやるにやれない状況だったのだ。

で、物量の代わりに(実は根拠に乏しい)精神論で、押し切るしかなかった。

戦闘機を造るための資源を入手するのに、自国内の鉱山や油田でまかなえるのか、それともいつ奪い返されるのかわからない占領地を頼りにするのか。

確かに、19世紀後半に開国によって半ば無理やり国際社会に引きずり出された日本が、その当時の「弱肉強食」を当然とする価値観の中で生き延びようとしたら、「いじめられないためにはいじめる側に回るしかない」という方針を立てて立ち向かっていくしかなかったのも、時代の必然だったと思う。

しかし、この国の土台となる自然環境や資源、更に地理的・地政学的条件などを予断を挟まずに直視していたら、「戦わないこと」こそが最善の決断であることに気づくことができたはずだ。

そのことは、敗戦までの日本の軍用機開発の全体を俯瞰することができれば、誰にでも容易に気づくことができることだ。
せっかくアメリカやドイツなどに劣らない、優秀な機体を設計しても、まさに「資源が足りないから」という事情によって生産することさえできなかった機種が、どれほどあったことか。
(鉄が足りなくて表面を木や布で造った機種もあった。鉄で造るのを前提として設計された時にはアメリカの重戦闘機に匹敵する性能を持っていたはずなのに、そんな機体で実戦を戦い抜くことなどできるはずもなかった)

零戦は、「資源が足りなくてもこんなに戦える」という「奇跡」を証明するための機種だったかもしれない。
しかし奇跡は起きず、現実の物量の前に破れ去った。
(番組の中では触れられていなかったが、弱点が露見してからの零戦は、米軍のパイロットたちから「マッチ箱」と呼ばれるようになった。防弾をしなかったから、急所に被弾すると簡単に燃え上がったからだ。まさにマッチのように)

はっきり言って、戦争という行為自体にそういう性質があるのだと思う。
できるだけ歴史を全体的に振り返ってみた上で譲歩するとしても、少なくとも産業革命以降の工業技術社会が行う戦争は、資源の量を前提として行うものだ。

だから、日本のような国はそもそも「近代戦争」をしてはいけないのだ。

平和を愛し、たとえ「平和のため」などという都合のいいお題目のためにであっても、決して戦闘行為を行わない国。

それこそが、真のプライドであり、愛国心なのではないか。

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12月31日(土)
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