ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■Re:排米
(初め原案帳#23に書いたけど、あまりにも長いのでこちらに移しました)
日米関係を「不健康な関係」と捉えてみて、ふと感じたこと。
日本とアメリカの関係は「ドメスティックバイオレンスの夫婦」に似ている。
アメリカがバタラー(加害者)、日本がバタード(被害者)。
基本的には殴る奴が悪いに決まっていて、アメリカが世界のあちこちでテロを誘発させては侵略戦争ばっかりやってるのは典型的な「DV野郎」だと思う。
「あいつが先に殴りかかってきたんだから、オレはあいつを殺していいんだ」みたいな。過剰防衛もいいところ。チンピラかっつーの。いいかげんにしてほしい。
でも、殴られるのを耐えたり受け入れたりしてしまう側に問題はないのか?
よくDV被害者のサイトなどでは「あなたは決して悪くありません。悪いのは殴る側だけです」と言って被害者を励ますけれど、あれはそうしないと被害者が加害者から逃げ出すことができないからで、客観的に見て「加害者だけが100%悪い」ということは、本当のところはないのだろうと思う。
わたしは、アメリカが「世界の警察」になろうとしてあちこちで暴力沙汰を起こすのを見ていて、その原因の一つはもしかしたら日本にあるのではないか?という気がしてきた。
もしかしたら、日本はアメリカから「逃げ出す」べきなんじゃないか?
日本が逃げれば、アメリカも暴力を止めるのではないか?
それとも、日本も「殴れる」ようになれば、アメリカが世界の暴力に過剰反応して侵略戦争を起こすことなどなくなるのか?
……いや、それだけは違う。
いわゆる「作る会教科書」などで日本の過去の暴力を正当化しようとするのは、あれはぜんぜん間違ったやり方だと思う。
暴力は暴力で、何をどう言い訳しようと悪いものは悪い。
その意味では、「あの人がわたしを殴るのはわたしにも至らないところがあるからだ」と受け入れてしまうDV被害者が間違っているのと同じで、日本が中国を侵略したのも悪いことだし、アメリカがイラクを侵略しているのも悪いことでしかない。
こういうことは、言い訳しないで単純に考えるべきだ。
単純に、というのは、暴力の背景になることがらがあれこれあるのも当然で、それについては真剣に考えなくてはいけない、ということと、暴力の正当化、この二つを結び付けてはいけない、ということだ。
確かに2001年9月11日のテロは、今でも現実に起きたことだったのかどうか信じられない気がしてしまうくらい、ショッキングな出来事だった。
テロという暴力は絶対に許してはならない。
ただ、そういうことがあったからアフガンやイラクを侵略することが正しい、と言って結びつけてはいけない、ということだ。
その意味ではブッシュは世界規模でDVバタラーなのね。
確かに20世紀は「戦争のできる国しか独立国ではいられない」という時代=帝国主義時代=だった。
でも、そういう焼肉定食じゃなくて弱肉強食が、いずれ出遅れた国々を凶暴化させていくのは時間の問題で、ドイツやイタリア、日本など「帝国主義的独立」に関してボーダーラインの国々はそのまんま凶暴化していった。
先を行く「連合国」にとっては叩き潰すためのいい口実を、自ら作っていった。
その結果として数百万人(?数千万人だったっけ?)もの死者を出す悲惨な状況を迎えたから、20世紀後半から少しずつ「戦争そのものをなくしていこう」という風潮が芽生え、発展していったのではないか。
21世紀は、たとえ「連合国」であろうと「戦争」という手段によって国際紛争を解決することが全面的に許されない時代になるだろう。
戦争を起こしたら、起こした側が「枢軸」。
イラク戦争の「枢軸」は実はアメリカなんだよ。
もしもそういう時代になりそうもなければ、わたしたちがそういう状況を作っていく努力を全力でしていかなければならない。
これは、そんなに簡単なことではない。
テロリストはなかなかいなくならない。
彼らを武力で殲滅しようとしても、あとからあとから似たような連中が出てきて、どうせきりがないだろう=戦争の時代が続くだけ。
大切なことは、テロリストが「テロなんかやる気がしない」ようになること。
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10月13日(木)
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