ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■Re:事実と信仰 夜明け前
この写真気に入ってます♪
昨日の記事の終わりのほうで、わたしは頻りに「事実」と「信仰」について述べ立てている。
後から読み返してみて、ふと気付いた。
ああ、わたしには、認めたくない「事実」があるんだな、と。
『対称性人類学』は、なかなか読み進まない。
こんな時間[4:58 04/10/04]に起きだしてきて、思いつくままに書いているのは、
ちょっと気がかりがあってネットに入ったので、ついでに。
目覚める直前に、夢を見ていた。
合宿に出かける夢。
しかも、海外で合宿!?
ん? お芝居の夢も見た?
違う。知り合いがお芝居するというので、ちょっとだけ協力する、という夢。
宅配便の業者(軽バンだった)の運転手(なぜか女性)が
わたしのうちのそばから「イトーヨーカ堂」に行くには、と聞くので、
わたしは北寄りのコースをとると山にぶつかって東へ行けなくなってしまうから
南西寄りのコースをとればいい、と説明していた。
でも、そのコースを正確に思い浮かべようとしてよくわからず、
わたしはなんだか困っていた。
合宿に行く直前に、わたしは友だちの譜面と何かのコピー(地図?)を
コピーさせてもらってから「合宿」に行くことにしていた。
わたしもその譜面で演奏するのだ。
あと、ある記事を削除しないと、わたしのPCに妖魔がやってきてPCに穴があいてしまう、
という夢も……?
いろんな記憶の境界線が曖昧になり、無作為に組み合わさって不思議なストーリーを作る。
それが、夢。
わたしは「夢の住人」になってしまいたい。
「認めたくない事実」は、わたしにとって既に「事実」だ。
わたしはそれが「事実」であることを「信じている」。
でも、中にはそれが事実かどうか、信じていない過去の記憶も、ある。
それは、わたしにとって「事実」ではない。
「過去の記憶」は、それが「事実」であるかどうか確かめるのも困難だし、
「事実」であると信じることも、実は思ったほど簡単ではない。
でも、それが「事実」かどうかなんていちいち詮索する気も起きないほど
楽しい記憶、というのもある。
こんな写真をupしてみた。
(Very thanks! to Penta@Ibuki79)
2004年9月5日 浜松市「カフェ・コンコルド」にて
わざとか偶然かわからないけれど、少しにじんだ感じがとても良い。
この思い出は、とても大切なものになった。
友だちって、いいものだ。
10月03日(日)
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