ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
[141655hit]
■朝日新聞(地方版)に掲載されました
はっきり言って「確信犯的売名行為」なのだけれど、
朝日新聞2003年5月3日の「静岡版」に、以下のような記事が掲載されました:
---------------------------------
人生に悩む人に音楽の癒やしを
7日に初の弾き語りライブ
性同一性障害乗り越え 静岡の会津さん
---------------------------------
子どもの頃から自分の体に違和感を抱き続けた性同一性障害の静岡市の会津里花さん(42)が、性別適合手術を受け、女性名に変更した。「これからは、音楽をとおして人生に悩むすべての人に癒しをあげたい」と、休んでいた音楽活動を再開し、7日に初の弾き語りライブを開く。
---------------------------------
幼い頃から身近に音楽があった。ジャズとシャンソンが好きな父と、台所で賛美歌を口ずさむ母。自分も高校でバンドを姶めた。音楽にのめり込んだのは、重苦しい心の悩みから逃れるためでもあった。
自分の体が嫌いだった。好きになるのは決まって男の子。中学のとき、初めて思いを告白した。「それ以上近寄るな」と冷たくあしらわれた。
やるせない思いを込めて詩や小説を学内誌に投稿した。ペンネームは「会津里花」。女みたいとからかわれても、「(小説家の)泉鏡花も徳富蘆花も男」と言い訳できると考えていた。
だが、家では長男。厳格な父は事あるごとに「男らしく」と説いた。少女地画が好きで、男の子との恋にあこがれる自分に罪悪感を感じた。
「男として生きよう」と自らに言い聞かせ、大学卒業後、大学で知り合った女性と結婚。長男も生まれた。
だが、違和感は募った。年を重ねるにつれ、ひげが濃くなり、髪の毛が薄くなる。自分の体が気持ち悪くてたまらなかった。
「性転換」。覚えたてのインターネットで、気になる単語を検索した。次々と見つかるホームページに「悩んでいるのは自分だけじゃない、やっぱり私は女だ」と確信した。
化粧をし、女性の服を着て街に出た。解放感でいっぱいだった。
これまで自分を偽り、隠し続けた分、これからは胸を張って人前に出たい。そう考え、しばらく休んでいた音楽活動を再開した。
「悩んだとき、自分は歌で癒やされた。同じように人生に悩んでいる人を歌で力づけたい」
まだ、完全に理解してくれない家族もいるが、いつか自分の歌を聞かせたい、と思う。
ライブは7日午後9時半から静岡市七間町の「Experience」で。問い合わせは同店(電話)054・254・1660、午後7時以降に。
「♪そこから始めればいいんだ/もう一度歌おうよこの歌を」。自宅で練習に励む会津さん=静岡市内で
☆キーワード
性同一性障害 心の性と体の性が一致しない症状。日本精神神経学会によると、症例数は昨年までに約千例に達した。同学会が97年に指針をまとめ、98年10月、国内初の公の性別適合手術(性転換手術)が埼玉医大で行われた。
以降、医師から性同一性障害との診断を受けた人に対し、家庭裁判所が男性名もしくは女性名への変更を認める例が目立っている。一方で多くの場合、戸籍の性別の変更は認められず、「保険証にも『男』と記され、病気になっても病院に行きづらい」(会津さん)のが現状だ。
-----------------------
いやー、それにしても、気恥ずかしいっていうか、おいおいそこまで書いちゃっていいのっていうか、
しかもこの記事、バカでかいし。(本文だけで5段も使ってくれてる(^^;)
取材してくれた記者の方曰く「連休中は記者が休みをとるので、穴埋めが必要」とか。
まあ、そういうところが埋まってしまうような大きな事件がなくて私のことなんかが掲載されたということは、
世の中少しは平和っていうことか。
うん、そういうことにしておこう。
いいじゃん、それで。
あー恥ずかし。
あ、忘れるところだった。
好意的に取材してくださった朝日新聞の記者・Sさんに、心から感謝しています。
追加取材も含め、けっこう長い時間を割いてくださいました。
それに、取材中はとても楽しかったです。
また、こうやって取材を受けることで、
私のアイデンティティが鏡像のように見えてくる、という効果もあったと思います。
[5]続きを読む
05月03日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る