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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■サバイバー/バタラー
私はかつて「バタラー」だったことがある。
たぶん、私のHPにずっと付き合ってくれている人たちの中には
「過去のことにしてしまっていいのか」と思う人もいるだろう。
けれど、私は現在、そして未来にわたって暴力を発動してしまわないためにも
自分についての「バタラー」を「過去のこと」としなくてはいけないのだろうと思う。
「攻撃性」「暴力性」は、男女を問わずあるし、ある面では必要なものでさえある。
けれども、昨今話題になっている「DV(ドメスティックバイオレンス)」の問題なども含め、
また、もっと大きく「戦争」も含め、
「攻撃性」「暴力性」が問題になるのは、まずは「物理的暴力」だと思う。
そして、次に「精神的暴力」……これには説明が必要だけれど、
今はちゃんと説明する余裕がない。
すごく大雑把に言ってしまえば、「精神的暴力」は、
それが向けられる対象となる人の「人格」を滅失させるような
言葉、音声、挙動、態度などを与えることだと思う。
「精神的暴力」については、はっきり言って「男女」の差はないと思う。
これは「物理的暴力」が専ら生物学的男性から同じく女性に向けられることが圧倒的に多い、ということと
大きく異なる点だと思う。
「物理的暴力」は、男女の生物学的な差異によって、断然男が行使することが多い。
男が人を殴れば、殴るだけで殺してしまうこともあるが、
女が人を殴っても、女の手の骨が折れることはあっても相手は死なない。
相手を殺すことができるほど効率的に殴れる女は、
よほど専門的な鍛錬を受けた人に限る。
男はそれほどの鍛錬を受けていなくても、殺すまで殴りつづけることができる。
骨折せずに。
(ただ、不思議なことに、女でも赤ん坊は殺せる)
人を死に至らしめるほどの言葉なら、男だろうと女だろうと作り出して相手に投げつけることはできる。
私は、よく死なずに今でも生きている、と自分に感心してしまうことがあるほど
言葉の暴力に晒され続けて生きてきた。
アレルギーと同じで、私は言葉の暴力に近いことを言われただけで
過剰反応するようになってしまった。
皮肉なことに、言葉の暴力に対しては、より効果的な言葉の暴力を返すことを覚えてしまったのだ。
これもまた皮肉なことだけれど、精神的暴力については男より女のほうが長けているかもしれない。
それで初めて、生物学的な「平等」が保てるからなのかもしれない。
私は、自分が死なないために、私を殺傷するような言葉に対抗して反撃の言葉を返していた。
でも、今ではそれすら、なんとむなしい争いだったんだろう、と思う。
お互いに傷ついてしまったし、
相互の人間関係は、修復することがほぼ絶対に不可能、と言っていいほど
ずたずたに切り刻まれ、ぼろ屑のようになってしまった。
切り刻みあう人間関係を止めるには。
……簡単なこと。
離れればいい。
◆◆◆◆
最後に。
「物理的暴力」と「精神的暴力」について、私なりの定義があるけれど、
一般的に言われているものとは少し違うかもしれない。
たぶん、大きな声を出して「怒鳴る」とか、
相手の物理的自由(行動の自由)を直接奪うようなことを言うとか、
(例:「この部屋から一歩も出るんじゃねえ」とか)
そういう行為は「精神的暴力」と捉えられやすいのでは。
でも、私に言わせれば、「怒鳴る」のは「物理的暴力」だ。
サルが「威嚇」としてやることは、人間がやる場合、ぜんぶ「物理的暴力」に含めていいと思う。
サルに精神作用がない、とは言わない。
ただ、精神的なことがらを「暴力」に援用してしまうのは、
悲しいことに人間だけだと思う。
サルはそんな野蛮なこと、しない。
◆◆◆◆
脱線するけれど、自分も含めて、いろんな人を見ていて思う。
人間ってサルと比べても、なんて野蛮で凶暴な動物なんだろう、と。
それに、卑猥で無軌道だし。
まあ、仕方ないよね。
そうなってしまうような能力まで神さまは人間に与えて、
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04月13日(日)
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