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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■明後日本番…… 北風と太陽
もしも興味のある方がいらっしゃったら、
伽藍博物堂http://www02.so-net.ne.jp/~garan-s/
にて11/16-17「UNIT LIVE Vol.7」を上演しますので、おいでくださいまし♪
(まだ今一自信がない……練習、練習!)

ところで。
『北風と太陽』のお話、ご存知の方が多いと思うけど。
私はなんだか、人間関係のあっちこっちで
「あ、これ『北風』だ」
「この人は『太陽』になれる人だ」
と思わされる。

ていうか、子どもの頃に「蝶よ花よ」と育てられた、っていうか箱入り娘、っていうか(だからそれは違うって)、
躾が甘かった、っていうか……
私は「厳しく仕込まれる」というのがすっごく苦手なのだ。
もっとはっきり言うと「厳しさこそが優しさ」という考え方が、基本的に理解できていないらしいのだ。

もちろん、ちょっとしたミスでも「こら!」と言って叱り、
緊張感を持って事に臨むようにさせる、ということだって必要な時は必ずあるはずだし、
そういうことも一切受け入れられない、というほどの甘えん坊ではないつもりだ。

でも、何かについて「否定から入る」ということに対して否定的な気持ち(!)を持っている私としては
何かを教える・教わる、という関係の中で「厳しくする」というのは嫌いなのだ。
(↑たとえば、上の2行は否定文で言うこともできるけど、あえてそうしないで
肯定文の構文で書いている。それができる限り、私はそうしたいと思っている)

幸い、「伽藍」の主宰の佐藤さんは、厳しく「コラ!」と声を荒げたりするタイプではなく、
ダメ出しするのでも必ず穏やかに言う、ということのできるタイプなので
(っていうか、そうじゃないと言えないタイプかも? ごめんね佐藤さん)
私は体や心を強ばらせてしまうことなく、のびのびと演技に集中できる。
その点ではラッキー♪だったと思う。

そうして、それは私にとって、人間関係を築く時の「ものさし」にまでなっているようだ。

「この人は怖い」と感じてしまう人とは、お付き合いできない。

そりゃ、誰だって怒鳴りつけたくなるほど腹の立つ時もあるでしょう。
どうしても耐えられない時、或いはそうするのがその場ではいちばんふさわしい時、
緊急でそうするしかない時、というのはあるだろうし、
そういう場面で怒鳴りつけられたからといって、それを一生根に持つつもりもない。

けれど、たとえば相手に決断を迫る時、
「いったいどっちなんだ? はっきりしろよ!」
と言われると、たぶん私はパニックに陥ってしまい、決して決断ができなくなってしまう。
ていうか、現実にそういう体験を5回か6回(か、もっと多く)している。
ああいう『北風』な目には、できればもう、遭いたくない。

いっぽう。
肯定的・受容的な人間関係を築くことを知っている人にとっては、
きっと自分が「怒鳴ってしまった」ということが、自分自身にとっても大きなショックとなるのだろうと思う。
「しまった、怒鳴ってしまった。どうしてそんなことしてしまったんだろう?」
と思うだろう。

そしたら、その人は、次に何をするだろう?
怒鳴ってしまった相手に対して、何かしらのフォローをしようとするのでは?

もちろん、フォローといっても言い訳じみてしまうかもしれないし、
パニックに陥っている相手は、もしかしたら優しい言い方すら受け入れられなくなってしまっているかもしれない。

でも、お互いに良好な人間関係を維持したいと思っている人なら、
辛抱強く相手の気持ちをほぐそうとするに違いない。

私は、そういう『太陽』になれる人とお付き合いしたい。
――っていうか、している♪ 嬉しい♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ☆ (^_-)☆
(あ、すみません、なんか私、うかれて頭とんじゃってて(^^;)

で。

私も、『北風』よりは『太陽』でありたい。
11月14日(木)
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