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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■「らしさ」の発達 ニュース(見ちゃった……(._.;)
★1・「らしさ」の発達
★2・「女装を理由に解雇」!?
★3・「宅間守被告の供述調書」
★4・「ゲイボーイ」
★1・「らしさ」の発達
昨日のNHK教育の番組を、あの後まで見ていたら、
男の子はいつのまにかそれなりに男っぽく、
女の子はそれなりに女っぽくなっていく、ということも
確かにあるらしい。
そういうところまで一緒くたにして「性差はなくすべき」と主張してしまうのは、
ちょっと極端かな…… と、思い始めた。
ていうか、もともと私は「男女の性差をなくせ」と言っているわけじゃないし。
子ども、特に幼児期には、
思春期のように「体から突き上げてくる性差(=第二次性徴)」などないのだから、
たとえば「ちょっと」男の子らしくしてみたり、
逆に「ちょっと」女の子っぽくしてみたり、
というようなことがあっても、
たとえば「5歳の男の子がスカートをはいた」からといって
その子がGIDを発症したり女装趣味に走ったりするとは限らないのでは。
それを周りで見ている大人=両親とか保育士、幼稚園の先生とか……が
殊更に騒いだり問題視したりすることがむしろ
子どもに対して目には見えにくいけれど
「歪んだ認知」の萌芽を植え付けていくことになりはしないか。
はっきり言って、イスラエルの「キブツ」にしてもニュージーランドの教育方針にしても
(どちらも幼児期に「性差」を強調せず、むしろ抑えぎみにして育てていく)
思春期以降の人たちを見れば
勝手に男っぽくなったり女っぽくなったりしているのだ。
つまり、「性差」というものは、いちいち「教育」なんかで画策しなくても
自然に身についていくもの。
だから……と、ここから自己主張になっていくわけだけれど、
たぶん両極端のことが言えるのだろうな。
1)「だから」人間における性差は絶対的なものなので、これからも堅持していこう。
2)「だから」やたらと性差(男らしさ、女らしさ)を強調することを、社会的にも緩和していこう。
と、二つの路線がありうるけれど、私としては後者の立場をとりたい。
具体的に、
・戸籍の性別表記を廃止→住民票とかでも「性別」欄は廃止
・婚姻後の別姓も許可、「戸籍筆頭者」も廃止=婚姻したどちらの者からでも検索できるようにすればいい
……というくらいのことは、日本の社会でもやっちゃっていいのでは。
(もっと言うと、「戸籍」って何?
……日本が唯一オリジナルで持っている「帝国主義的制度」かな?
ていうかそんなもん、いつまでしがみつくんだろう?>ジジイの集まり=国会)
砂のお城みたいに作り上げた「性差の秩序」にしがみつきたがるのは、
やっぱり「男」、それも、そういう秩序にハゲ頭のてっぺんまでどっぷり漬かった
ジジイが圧倒的だろうなあ……
(もっと嫌味なこと言うと、「性差の秩序」にあぐらをかくことで、
自分の自信のなさを解消しようとしてきて、
それが自分が威張る根拠みたいになってしまってるので
今さら屋根に登ってからはしごを外されるようなことをされたくないだけなのだろう)
そういうジジイたちにおとなしくかしづいてきた奥さまがたが
(たとえば国会議員の妻、とか)
↑そのことについて発言を求められたら、
みんななんて答えるんだろう?
「夫に従うのが美徳ですから」とか答えるんだろうか?
でも、その時点で既に、ジジイたちは奥様がたから「哀れみの目」で見られてると思う。
はっきり言ってそういうもんだと思う。
結婚した配偶者どうしがお互いに尊敬しあうのは、もちろん当たり前。
尊敬できない相手と婚姻関係を継続しなければならないとしたら、
きっと必ず「相手に対する尊敬、信頼」以外に
何かごたごたした「価値観」……=建前とか「秩序」(←ホントは特に従う必要のない虚構)とか、
場合によってはよじれた屁理屈みたいな「思想」が
必要になってしまうんだろうな。
そういえば「右翼の女」って、見たことないなあ……
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06月13日(木)
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