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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■映画『Harry Potter』 / 記念日 / 観劇(5……?)
★1・映画『Harry Potter』
★2・記念日
★3・観劇(……5?)
★4・NHK教育「芸術劇場」
(この記事は実は12/12になってから書いたものです)
★1・映画『Harry Potter』
**先に注意!「ネタばれ」の恐れあり!**
実は昨日(12/8)のことなんだけど、Fくんと二人で、封切りして1週間の映画
『ハリー・ポッターと賢者の石』
を観た。
実は、……このところ「実は」がすごく多いのは、なぜか知らないけれど
何を書いてもどうしても書きにくい気がすることばかりになってしまうからなんだけど……
ちょっと物足りない気がした。
でも、主人公、ハリー・ポッターを演じるダニエル・ラドクリフ(Daniel
Radcliffe)くんがとてもかわいかったし
一生懸命演じているのはよくわかったし、
だから「なぜ物足りない気がしたか」を少し書こう。
だいいち、「物足りない」気はしても、「観なけりゃよかった」とはちっとも思わないから。
1.文字と映像の情報量の差
本当だったら文字媒体よりも映像のほうが遥かに情報量は多いはずだけれど、
どういうタイプの情報を扱うのが得意か、ということについては
文字と映像はやや異なるような気がする。
ただ、それを一言で言い表すのは、今の私にはまだちょっと整理できていないようにも思う。
まあ、たぶん、以下具体的に「物足りなかった」と感じる項目を挙げていくと、
その特徴をまとめればわかることもあるのかもしれない。
2.『ハリー・ポッター』は「ACの物語」、と言われる部分
このお話の大きな特徴の一つとして、
ハリーは魔法の世界ではすごい「有名人」なのに、
人間界(「マグル(非魔法族)」の世界、と呼ばれる)では
まるで迫害されている、と言っても過言ではないような状態で生活している、
ということがある。
それで、2年ほど前に「賢者の石」を読んでいた頃、ちょうど「AC(アダルトチルドレン)」の概念や
そのことをカギにして集う人々のことを知ったのだけれど、そこの人たちが
ハリーがマグルの中に置かれている状態はまるでACそのものだ、と言ったのを
とても印象深く覚えている。
……なんだけど……
そのことは、映画の中ではそれほど「印象的」には扱われていない。
っていうか、小説の形式だったら「淡々とした語り口」というのが成立しているけれど、
あれを実写の映画の中でやったら、ハリーを虐待する「マグル」、ダーズリー一家の姿は
あまりにも陰惨で愚かに見えてしまうような描き方しかできなかったのではないだろうか。
「情報量」っていうのは、もしかしたら「事実」のほかに「語り口」というのもいっぺんにあらわせる、
という点では「文字」のほうが「映像」よりも優れているのかもしれない。
もちろん、事実と語り口を併せて表現する手法、というのが映画にもあるのだろうけれど、
今度はそういうかたちで「情報量をふやす」ということをしてしまったら、
映画として全体が重たくなってしまったような気もする。
3.おどろおどろしさ
本で読んだのと比べて、映像のほうが全体的に「さらっと」していて「おどろおどろしさ」が少なかった、
という気もする。
うーん、でも、これを「物足りなさ」としてしまうのは、なんだかちょっと違うな……
と、言いかけた本人が、ためらってしまう。
じゃ、なんだろう……??
二つのことに気が付いた。
(1)
J.K.ロウリングは水木しげるじゃない、っていうこと。
描いている世界に共通する面は非常に多いとは思う。
それは、イギリス……っていうよりブリテン島という「島国」の文化、
中心となる「大陸」に対して「辺縁系」をなしている、というような
地理的な背景を持つ一方、
同じ「地理的な背景」でも、日本とイギリスでは「緯度」がぜんぜん違う、という
別の要素で、「湿度」のあり方が違うからなのかもしれない。
(2)ハリーは11歳だ、ということ。
作者が読者として設定しているのが、主人公と同世代の子どもたちだ、ということを、
作品のあちこちから感じる。
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12月09日(日)
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