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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■断片集(生活+萩尾望都) / 夢に出てきた父 / 他
★1・断片集(生活+萩尾望都)
★2・隣の芝生
★3・運勢(^^;本文は字数制限により割愛(^^;
★4・@ケータイ(起きれない
★5・夢に出てきた父
★6・自己肯定……
★1・断片集(生活+萩尾望都)
ねえみんな、聞いて聞いて!!
なんだ、なんだ??……って別にたいした話じゃないじゃん。
★「10月の原案帳」の「もくじ」
原案帳・2001年10月Index(お試し版)
(↓のURLも同じ)
*10月に私が書いた戯言が、書いた順番に素直に並んでいます!
*タイトルをクリックすれば、目指す記事までひとっ飛び! じゃんぷ、じゃあーんぷ!
(手作業で作った……ああ、疲れた……)
自分では気に入ってるんだけど(^^;
……で、なんか実はまるで意味ないことやってるんだけど、ミョーに達成感があったから、いったいどういうことなんだろう、って昼間寝て夕方起きて考えたの!
(……そんなことより、まともな生活、早くなんとかしろよ(-_-;>自分) ま、まあ、それはおいといて(^^;
そしたらね、わかったわよ!!
「10月の自分」を見直したかったのよね!
……
って、「日記を整理する」っていえば、ふつうそういう意味なのでは?
ナニを当たり前のことを……??σ(-.-;?
まあ、そういわないで。
例年、私にとって「10月」っていうのはけっこうタイヘンな月なので、今年はどういうことになっちゃったんだろう、という気がしていたんだわ。
なんだか、今年の10月は、ぐだぐだしながらも乗り切れたみたい。
★「月」のことを書いていたら、こんな発見を思い出した。
『赤毛のアン』に、アンが養母のマリラに向かって
「ああ、マリラ。この世に十月というものがあって、ほんとに嬉しいわ。
もし九月から、いきなり十一月になったら、とんでもないことだわ。……」
と語る場面がある(第16章)。
この本の邦訳をした松本侑子さんが出している「幸せになる『赤毛のアン』の言葉」というMLを出していて、その中でも取り上げられていたから知っている人も多いかも。
(興味のある方は「赤毛のアン電子図書館」をご参照ください)
で、↑の言い方、「どっかで見たことある」と感じる人、
私のHPを見ている人にはあんがい多いのでは?
そう!
ニュアンスは全く変わってしまっているけれど、
萩尾望都『11月のギムナジウム』
の中に、ほとんど同じ言い回しが出てくるのだ!
お話のほとんど終盤、
エーリクとトーマがそっくりだという不可解な事実の陰に何かある、
ということがわかりかけた折、トーマが病死してしまい、
「委員長」(ユーリじゃなくて「フリーデル」という名前で、このお話では脇役)が
エーリクに真相を打ち明けようとする……
という、ちょうどクライマックスのさなかに、そのせりふは出てくる。
フリーデル「おはよう エーリク」
エーリク「おはよう フリーデル
この寒いのに どうしたんだい」
フ「十一月が おわるなって 考えてたんだ
そしたら 十二月が来るな」
エ「そりゃ そうだろ 飛んで 一月は 来ないよ」
……
いわゆる「二十四年組」と呼ばれる漫画家の先生方は、
多くが幼少の頃には「文学少女」だったのであろう。
萩尾望都の作品にも、あっちこっちに、いかにも「少年少女名作図書館」からもらいました、
というような描写が顔を出す。
(某数字のつく名前の掲示板で「日本を書かないで西洋ばっかり書くのはおかしい」とか書かれていたけど、
確かにそうだなとも思いつつ、別にそれでもいいと思う。
だって、文化的に「日本」はとても作品の「文化的背景」にはなりえなかったのだろうから、
「少女漫画」という媒体で表したいと思うものの)
今、『赤毛のアン』を読みながら、いろんなことを考えてはくすくすっ、と笑ってしまう。
一つは、私にとってとても馴染みのある描写のほとんどを、
私は実は原典となる作品――『赤毛のアン』のほかに『若草物語』とか『小公女』など……――からではなく、
いわばその「二次創作」とでもいう側面を持つ、「少女漫画」から知ったということ、
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11月06日(火)
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