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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■神さまはセクシュアルマイノリティを愛するか
仏教は「慈悲」、キリスト教は「愛」、イスラム教は、その核を強いて一言で示すなら「寛容」でしょうか。どの言葉も、性同一性障害の治療をはばむものとは思えません。ひたすらに信じ、帰依し、その道を生きるかぎり、その人間が、どうしてもそれをしなければ生きていけないほど追いつめられた挙げ句に、多少身体を変えてみたところで、大きな問題ではないのではないかと私は思います。
一木一草に至るまで、全ての生き物を創られたほどの方が、何の計画もなしに性同一性障害を抱える人々をこしらえ続けているとは思えません。必ず理由があるはずです。
性同一性障害を、考え方を工夫して何の治療もせずに乗り越えた人は、より強い人間になるでしょう。どうしても手術をしなくてはダメな人が、何年もかけて必死で貯金し、家族や恋人などと、あらゆる修羅場をくぐり抜け、とうとう待ち望んでいた肉体となった時には、心の底から「生きていてよかった」と感じられることでしょう。そうやってしばらく暮らすうちに、男と女、二つの視点を経験した自分のユニークさが、貴重なものに思われてくるかもしれません。
その強さ、感動、自己肯定感を、今ある自分を支えてくれた人々全て、育んでくれた世の中全体への感謝へと昇華させることができ、ついには自分の生命の大元である創造主への深い感謝と畏敬の念を、本当に持つことができたなら、性同一性障害も何もないのに不平だらけでダラダラ生きている人々よりも、ずっと神仏に愛される人間になることができたのだと、自信をもってよいと思います。
(虎井まさ衛)
(なお、引用した両書とも、本文の下に豊富な注釈情報が入っていますが、煩雑になってしまうため、ここでは全て割愛しました)
---------------------------------以上引用
とりあえず、引用しただけで疲れてしまったし(ぜんぶ手書き!! あ、「手打ち」っていうのかな?)、今のところ私見を付け加えようとも思わない。
それぞれの文章を繰り返しかみしめたい、と思うばかりだ。
ただ、わたしの目の前にあった霧がだいぶ晴れてきたような気はする。
-----------------------数分たって……
あ、そうそう。
わたしの知り合いのキリスト者が「ECQA」という団体のニュースレターをくれた。
「ECQA」は「信仰とセクシュアリティを考えるキリスト者の会」という意味だそうだ。
「無断転載・複写禁止」ということになっているので詳細を紹介するのは控えるけど、教派を越えてセクシュアルマイノリティを肯定する立場から信仰を考えていく団体がある、ということは、それだけでもわたしにとって心強い。
(「教派を越えて」っていうところもわたしの好みだし♪ だって、わたしの信仰は、プロテスタントの母とカトリックの姉から受け継いだものだもん!)
わたしは、確かに日曜日に教会へ行くこともせず、あちこちで「聖書を言葉どおりに信じるなんて無理だよねー」などと言いふらしたりしている「罰当たり」のような者だけど、わたしが認知できる世界の全てを無から創られた神さまがいる、ということだけは信じている。っていうか、「知っている」。
見たこともさわったこともないけれど、神さまがいる、ということが全身で実感できるのだ。(こればっかりは、見ることもさわることもできない相手なので、他人に「わかってくれ」などとは決して言えないことだけど)
そうして、神さまが、わたしのような者でも愛してくださっているのだ、ということを、信じたい。……これは希望みたいなものだけど、この希望が確信になっていく過程が「信仰」なのかも?という気もする。まだわかんないけど。
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07月02日(金)
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